俺はこっちのほうが好きですがねと言うなり、尾形は俺の手を取った。
熱くも冷たくもない、かさついた指先が手の甲をまさぐる。
困惑して顔を上げる。
奴は無表情のまま、無心に撫でているように見えた。
──常陸国じゃ、巨人の死体が打ち上がったことがあるんだろう。
そんな与太話を持ち出したのは俺だ。どこかで聞きかじったのを思い出して、とくだん意味も無く口にしてみた。世間話の積もりだった。よくご存知でと尾形は呆れた顔をした。
──どこの浜かは知りませんがね。そんな話を、たしかに婆ちゃんから聞いたことはあります。
それで死体はどうなったんだと尋ねたら、さあねと気のなさそうな返事が来た。
──真逆、信じちゃいませんよね。
──昔話ってのは、案外と馬鹿にならんぞ。
勘弁してくださいよ伍長殿、と放り投げるように尾形は答えた。
多分腐ったんでしょうよ。巨人だぞ、高く売れるだろう、見世物小屋とかに。デカすぎて買い取り手がなかったんじゃねぇですか。肉は食えるのかな。厭(ヤ)なことを云う御仁だね。化け物の肉なんぞ、食いたがる奴ぁいませんぜ。そりゃつまり珍味ってこったろ、売れるぞ。
そこまではいつもの馬鹿話だった。だのにとつぜん、妙なことを言い出す。
「骨ですよ」
ほ、ね、とわざわざ口の形だけでも念を押し、尾形はふたたび視線を下に戻した。狭い個室の闇のなか、洋燈の灯りに尾形の輪郭が浮かんでいる。鼻筋の通った横顔には濃い陰が落ちていた。つられて俺も自分の手を見る。尾形はおもむろに俺の中指を抓みあげ、自身の指の腹で爪から第一関節、第二関節……となぞりはじめた。押し付けるように、丁寧に、何かを確認するかのように。それをぼんやりと目で追い、俺は末節骨、中節骨と、点呼でも取るみたいに骨の名を口中でつぶやく。
「骨は魂と同義です」
基節骨。尾形の指は、太くも細くもない。標準的な男の手なのだと、意識したのは最近だ。
「肉は腐って骨は残る」
中手骨──の、頭。だが、俺の指よりは細いし長い。青白い。
「つまり、あんたの本質は骨にある」
体、底。尾形の指は迷いなく、しなやかに動く。それも最近知ったことだ。月状骨に辿り着き、ここから先は橈骨──つまり腕だ、と思う間に、五指はぬるりと手首に絡みついた。ぎゅうと親指で脈を抑えられ、本能的な忌避感に体が強ばる。目を上げると、
「嘘に埋もれた永遠なんて、なかなか乙でしょう」
嘯く猫の目が笑っていた。
「どうだか」
目を逸らし、そのまま視線をわずかばかり下げる。生ッ白い喉に尖った骨が突き出しているのが見えた。ああ、目に染みるように白い。結局こうなるかと少しだけ自分を笑い、景気よく食らい付く。柔い膚に立てた歯が、ぐねぐねと蠢く肉の奥に固い骨を探り当てる。耳元で低く笑う声に合わせて、それは小刻みに上下した。
「これ、くれるか」
お前が死んだら──。思いつきで尋ねてみたが、俺のは屹度、仏の形にゃなりませんぜと軽口で往(い)なされた。
死んだ尾形を想像しようとした。
けれど満天の星の下、波に晒されて白茶けた、化け物の巨大な骨──そんな絵空事しか、思い描くことはできなかった。
(了)
ワードパレット2より 19.リーヴァ[(伊)riva]岸辺 白波/星/手首
<余談>
月島の言う伝説とは、『今昔物語集』「大きな死人が浜にあがる話」が元ネタという設定です。