指先に塗られた嘘(と本当)

「緊急と伺ったのですが」
「もちろん、緊急だ」
 たまりにたまった書類仕事を片付けていた午後、ツォンの携帯が震えた。ルーファウスからだった。
 ──緊急事態だ、来い。
 すべてを放り出して指定の場所に駆けつけてみれば、そこは高級カフェで、呼び出した当人はテラス席で優雅にティータイムを愉しんでいた。
「急に顔を見たくなってな」
 呆然とするツォンに向かってルーファウスは悪びれずに笑い、座れと目顔で向かいの席を示す。
「失礼します」
 ツォンが力なく従うと、ルーファウスは「怒るなよ」とふたたび朗らかに笑った。
「怒っていません。慣れました」
 嘘ではなかった。
 ツォンが雇用主と寝るようになってから、今回のような呼び出しは日増しに増えつつある。緊急の意味が薄れるからやめてほしいと進言したところで素直に聞くようなルーファウスでもない。どうせ今日も“そう”だろうと、ツォンも薄々勘付いてはいた。
 それでも、主人が呼べば、駆けつけるのが犬だ。
「仕事を中断させて悪かった。何をしていた」
 悪いなどとこれっぽっちも思ってもいないことが丸わかりの笑顔で、ルーファウスが尋ねる。
「……経費の精算を」
 急にまじめに答えるのが億劫になり、ツォンは適当にはぐらかした。
 訊いた当人も興味がないらしく、ふぅん、などと生返事をしながら、意識は目の前の皿に盛られたスコーンに向かっているようだった。皿に残った菓子は残りひとつで、すでに大半は彼の腹に収まっているのだろう。
 きまぐれで脈絡のない会話にも、もう慣れた。
「副社長は、骨休めですか」
 だが、慣れたとはいえ、ツォンも人間だ。つい口にしてしまった嫌味を、けれどルーファウスはさらりと躱した。
「さっきまではな」
「さっき?」
「今は逢い引き中だ」
「……」
 あっさりカウンターを食らった。ツォンの細い目がさらに細くなる。
「ひさしぶりに聞きました、“逢い引き”」
「ここ、スコーン自体は大したことがないんだがな」
「はあ」
 ──ダメだ。
 ツォンは抵抗を諦める。
 どうやっても自分はこの男には敵わないらしい。いつもこうして彼のペースに飲まれてしまう。
「クリームが絶品で」
「はあ」
「喰うか?」
 ほとんど惰性で相づちを打っていたツォンに、ルーファウスが突然聞いた。
「は?」
 戸惑うツォンを無視し、ルーファウはためらいもなくクリームの中に人差し指をつっこんだ。ゆっくりと掻き交ぜるようにしてすくい取り、ツォンに突きつける。
「ほら」
 男のものとは思えないほど白くほっそりとした指先が、鼻先で揺れていた。
 やわらかそうなゆびの腹の上に、黄みがかった光沢を放つクロテッド・クリームがだらしなく垂れている。
 思わず目を伏せる。
「いえ、結構です」
「嫌いなのか?」
「……はい」
 つとめて無表情を保ったまま、ツォンは答えた。
 嘘ではない。菓子のたぐいはすべて苦手だ。と、なぜか自分自身に言い訳をしながら。
「ふぅん」
 つまらんな、とつぶやき、ルーファウスが手を引っ込める気配がした。
 目を伏せたまま、ツォンはルーファウスの赤い舌がクリームを丁寧に舐め取る様を想像する。途端に脳の芯が痺れ、急激な喉の渇きを覚えた。気取られぬようそっと唾を飲み込むと、自分でも驚くほど大きな音がした。
「なあ、ツォン」
 じれたような主人の声に、ツォンはびくりと震える。
 弾かれたように顔を上げると、ルーファウスはつまらなさそうな顔をしながら、フォークでスコーンをつつき回していた。
「お前、好きなものはないのか? 何になら興味がある?」
 拗ねたようなその仕草は、ふだんの彼に比べて妙に幼く、演技ではないように見えた。
 毒気を抜かれ、ツォンはしばし主人のさまようフォークの行方を目で追う。
「そうですね……」
 そして、少し考えるふりをしてから、できるだけさりげない調子をよそおって答えた。
「貴方、でしょうか」
 フォークの動きがぴたりと止まる。
 十数秒の沈黙。

 やがて、爆発するようなルーファウスの笑い声が、小洒落たカフェ中に響き渡った。

(了)

WEB拍手

※お題は診断メーカーより※ ツォとルへのお題は『指先に塗られた嘘と本当』です。

付き合ってないけど寝てるツォとル。
恋愛ではないけど結びつきはやたら強いっていうか離れるとか考えられませんけど?系ツォンル(なにそれ)
ツォンさんはルーに振り回されてうんざりしてるし基本鬱陶しがってるけどルーファウスのこと大切ですかって聞かれたら真顔で照れもせず命より大切に決まってるでしょうがって答えるタイプ。
あと二人はひたすらくだらない会話しててほしい。