現実 <1>
視線が痛い、気がする。
のは、気のせいだろうか。
朝一でおこなわれる定例会議の末席で、ミタカはじりじりしていた。正面のスクリーンに投影された議題に顔を向けてはいたが、意識はまったく別のところにあった。
会議の開始から、ずっと自分に強い視線が投げかけられている気がして落ち着かない。気になりすぎてそちらに目を向けることさえかなわず、とうとう静かに顔を伏せた。
周囲に気取られぬよう、こっそりと息を吐く。
その途端、
「以上である。では、解散!」
参事の大音声が会議室に響き渡った。
びくりと身を震わせたミタカは、あわてて周囲に合わせて敬礼をする。直後、部屋はどやどやと出口に殺到する士官でごった返し、ミタカもあっという間に人の波に呑まれた。
人ごみに紛れ、視線が来ていた(ような気がする)方向──会議室の最前方であり、最高位の役職の人間が着く席──将軍席を、ちらりと盗み見る。
普段となんら変わらぬ将軍の姿が、そこにはあった。
何を考えているかまったく読めない青白い顔。心ここにあらずのようにも見える無表情は、いつもと同じように虚ろだ。こちらに視線を向けてなどいない。
やはり自分の思い過ごしだったようだと、ミタカはほっと胸をなで下ろした。
そして思う。
──夢のほうが、断然いきいきしておられた。
昨夜、ミタカは夢を見た。
よく見る夢だった。誰にでもひとつはあるだろう、「また来てしまった」という固定された夢の舞台。
ミタカにとってお馴染みのそこは、見たことも聞いたこともない『地球』という惑星だ。
生物はミタカ以外に登場しない。すべて死に絶えているらしかった。季節はいつも冬で、荒涼たる海岸と、工場廃墟、巨大な博物館などが点在している。
特に何が起こるわけでもない。ただ、静かな死に充ちた世界を歩くだけの夢だ。
ところが、昨夜の夢は少し事情が違った。
ミタカ以外誰もいないはずの空間に、見知った顔が登場したのだ。
ハックス将軍だった。
夢というのが大抵そうであるように、ミタカはそのことを特に不思議にも思わず冷静に受け入れた。そして、我が物顔で「ミタカの夢」を歩き回る将軍に付き添い、世界を説明して回ったのだ。
──妙な夢だった。
夢の将軍は、演説や会議で遠くから望む彼とは、まったく違っていた。
たかだか中尉クラスのミタカに、くだけた態度で接し、軽い調子でワガママを言い、ミタカの嫌味に(そう、ミタカが嫌味を言うほど、二人の距離は近かった)機嫌を損ね、怒り、拗ね、素直に動揺し、笑いさえした。
鉄面皮だの冷血漢だのと呼ばれ、蛇蝎の如く忌み嫌う人間も少なくない将軍だが、夢の彼は人間らしいというか、なんというか──
「こどもっぽい」
思わず声に出す。
そう。夢の彼は、まるでこどものようだった。
悪意も善意もない。ただ、なんにでも興味を示し、そしてすぐに飽きた。
本来の彼は、ああいう人なのかもしれない。
「って、いやいや」
また独り言をもらす。が、それに気づかないほどミタカは自分の考えに没頭していた。
「本来の彼」もなにも、あれは僕の見た夢だ。夢の中では、どういうわけか「本物の」将軍が自分の夢に迷い込んできたのだと信じていたが、そんなことあるはずがない。夢とは、自分の脳に堆積された思い──つまり記憶──が歪んで反映されるもので、要するに「自分」の掃きだめみたいなものである。
でも、とミタカは考えながら歩き続ける。自分のオフィスをとうに通り越したことには気づいていなかった。
──それなら、僕は無意識のうちに、将軍をこどもっぽい御仁だと見做しているということだろうか。
「それはマズくないかな」
「何がマズいのかな」
「うわあ」
唐突に背後から声がしてミタカは飛び上がった。
そして我に返った。
「って、あ、あれ?」
そこで初めて、ミタカは自分がいるフロアが見慣れぬ場所であることに気づく。目の前に立ちはだかるIDスキャナー付きのゲートに戸惑いながら目を上げると、ずっとつづく廊下のはるか彼方に見えたフロア・サインは、『A3』、つまり最高幹部エリアを示していた。中尉レベルの下士官が働くオフィスは、もっとずっと手前にある。
「やばい」
「たしかに、このまま進むと“やばい”な」
「へあ」
ふたたび聞こえた背後からの声に振り返ったミタカは、その正体に再度の悲鳴をあげた。
「あ、しょ、将軍!」
いったい、いつからそこにいたのか、ミタカの後ろにぴったり寄り添うようにして立っていたのは、件の将軍その人だった。
ヒエエと奇声を発したミタカ中尉を冷ややかな目で見つめながら、ハックス将軍の冷徹な声が尋ねた。
「……で、何がマズいのかと、私は訊いたのだが。ミタカ中尉?」
「みたっ……! な、なまえ……ぼく、わた、ご、ごぞ、ごぞんじ」
私の名前をご存知なのですかとさえ言えないほどに動揺した中尉に向け、将軍は横柄に鼻を鳴らして応じた。
「なんだ、貴様。昨夜とは別人みたいに気が小さいな」
──昨夜?!
ミタカの全身に衝撃が走る。
あまりの事態に声も出ず、ミタカはただ口をパクパクさせることしかできない。
酸欠の魚のようにあえぐ部下を、将軍は黙って顎に手を遣ったまま、面白そうに眺めた。
「上官に対する態度がまったくなっていないな。アカデミーを主席で出たと聞いたんだが。指導教官はいったい何を教えていた」
腕を組み、できの悪い小学生をたしなめる慈愛に満ちた教師のような仕草をしつつ、口許には意味ありげな笑いが浮かぶ。にんまりと笑うその顔は、どう見ても混乱する部下を揶揄って愉しんでいるようにしか見えなかった。
「返事はどうした、ええ、ドフェルド・ミタカ君?」
綺麗な歯並びがのぞく口が、ミタカのフルネームを、はっきりと区切って発音した。
「あ、ぐ、あの、その」
目を白黒させるミタカに、将軍は、ほれほれ、と手で追い払う仕草をしてみせた。
「ほれ、さっさと持ち場につきたまえ、中尉殿」
「も、…………申し訳ありませんッ!」
大絶叫とともに最敬礼したミタカは、そのまま脱兎の如く元来た廊下を駆け戻っていった。
混乱がありありと滲んだ背中に、ハックスの囁くような小声が追い打ちを掛ける。
「また、今夜な」
ギエッという叫び声と、盛大に蹴躓く音が、静まりかえった廊下に響きった。
そして、ようよう身を起こしたミタカが、恐々うしろを振り返ると、そこにはもう将軍の姿はなかった。
夢のように消えていた。
Photo by Jesus Kiteque on Unsplash
現実<1>・了