棺桶をひらく。
ドーナルが寝ている。ホンモノの吸血鬼とはちがって、呼吸して、心臓も動いている。顔色は悪いが、生きている人間となんの変わりもない。
アダムは、おおきく息をつく。安堵の息だ。
大丈夫。今日も、こいつは半端者。まだ、こっちにいる。
今朝(ドーナルにとっては深夜だろうが)、腹が減ったとわめきちらすアダムに山盛りのパンケーキを焼きながら、ドーナルは何を思ったか「僕が真性の吸血鬼になっちゃったら、お爺ちゃんになったアダムくんの介護してあげられるねえ」とつぶやいた。そしてアダムが何か言葉を発する前に、「きみ、絶対に頑固なクソジジイになるよね。やだなあ」と笑い、勝手に話題を打ち切ってしまった。
本来であれば、吸血鬼は歳を取らない。死ぬこともない。生きとし生ける者たちの定めから逸脱した、歪んだ存在だ。でも、だからこそ、二人のあいだでは遠い未来の話は、なんとなくタブーだった。
吸血鬼が人間に戻った例を、アダムは聞いたことがなかった。そもそもドーナルのような〝半端者〟の存在じたいが未知なのだ。今はなぜか成長を続けていても、彼がいつまで歳を取り続けることができるのかなど、皆目見当がつかない。
眠るドーナルを、アダムはしげしげと眺めた。
棺桶のなか、すやすや寝息をたてるドーナルのマヌケ面はあまりにも無防備だ。急に理不尽な怒りを覚えたアダムは、衝動的に彼の唇をムニッとこじ開けてみた。通常よりほんのすこしだけ尖った、まっしろな犬歯が覗く。吸血鬼の牙だ。
「お前さ。俺のこと……勧誘しねえの?」
仲間になれ、って。
ぽろりと本音が零れた。
朝に、言おうとして胸につかえた言葉だった。
それを望む自分が心のどこかにいることを、アダムは自覚していた。狩人最大の禁忌だ。主の御心に背いて、ヒトの外へ歩を踏み出すなど、冒涜にもほどがある。
でも。アダムは迷う。
俺の都合で彼をこの世に引き留めるだけ引き留めて、仲間殺しなんて残酷な協力をさせて、最後は俺だけが先に逝く。そんなこと、許されるのだろうか。かと言ってドーナルの胸に杭を打ち込むなど、思い描いただけで気分が悪くなる。しかし彼を人間に戻す術が見つからなければ、それは確実に待ち受けている未来でもあるのだ。
だったらいっそ、歳の近い今のうちに――
「だめだよ、アダムくん」
とつぜん、指を突っ込まれたままのドーナルが苦しそうに唸った。
起きていたのかと飛び退いたアダムだったが、
「ぼくの血液アイス……かえしてよう……」
続くドーナルのむにゃむにゃというつぶやきに、ほっと胸をなで下ろす。どうやら夢のなかでまで、アダムにいじめられているらしい。
「……不憫なヤツ」
ついつい浮かんだ笑みは、しかしすぐに泣き顔に変わる。
「なあ、ドーナル。どうしよ。俺……」
もう一人にはなりたくない。けど。
――あんたを一人残すのは、もっと嫌だよ。
半人前の吸血鬼狩人は、友だちの吸血鬼のためにぼろぼろと涙をこぼす。あまり泣き慣れていない彼は、だから気づいていなかった。
眠ったふりをした吸血鬼の目尻にも、じわりと涙がにじんでいたことに。