どうもどうも。
メニューからは来られないこんな記事を見つけてくださって、ありがとうございます。
更新履歴にしか表示されないつぶやきです。
さて。
ありがたくも完売となった『旅とパレード』ですが、なんとなくここらでタイトルというか、BGMとして流れている諸々の話を残しておこうかなと思い立ちまして。noteに書くことでもない気がしたので、ここでひっそり書かせてください。
あんまごちゃごちゃ言うのはかっこよくないんですが、でも話したいんだよー。きいてくれよー。
『旅とパレード』というタイトルですが、元々の候補は「罪人たちのパレード」でした。
が、あまりにもベタなのと、映画に『恋人たちのパレード』っていうのがあって、あれと関連付けられるとちょっと困るかな……という気持ちがありました。映画とまったく関係ないので。
じゃあ「パレード」で良くない? と修正したはいいけど、さすがにインパクトに欠けてスルーされてしまうかもしれないという(主に販売方面での)懸念があり、最終的にこうなりました。
さらに、「パレード」をキーワードにしようと決めた途端、自分が拠り所にしている作品には、この言葉がけっこうな頻度で出てくるんだなと気づいたのです。
もう何度も触れている鈴木志保のマンガ『船を建てる』のほかにも平沢進「パレード」やMy Chemical Romance「Welcome to The Black Parade」あたりが、裏テーマとして潜んでいたりします。
特に、特典の栞に書いたフレーズは、『船を建てる』と同じくらい「Welcome~」を意識しました。
「旅」のほうは小沢健二から。そのものズバリの「ぼくらが旅に出る理由」から、章タイトルを取っただけでなく、『犬は吠えるがキャラバンは進む』『LIFE』というアルバム・タイトルもかなり意識しています。
この人の音楽はずっと私の人生の隣にいるので、『船を建てる』と同じく染みついてしまっている作品です。ただ一つ異なるのは、小沢健二がひたすらに好きなのかというとそう単純でもなく、同族嫌悪や疎ましさといった類いの負の感情も含まれています。好き嫌いを超えて「付き合い続けるもの」としての音楽というか、音楽家というか。(そんなん言われた方は大迷惑だろうと思うので申し訳ないんですが……)
映画のなかのキャラクターが二次創作になるのって、旅のようなものかもしれないと、当時よく考えていました。
切っ掛けは飛浩隆の小説『零號琴』を読んだこと。
読んだ当初は、「なんでこんなもん読んじまったんだ、こっちはそんな覚悟ないんだよ馬鹿野郎……」と恨み骨髄に入る勢いでしたが、スパルタ教育というか獅子の子落としというか、おかげさまで一つ図太くなれた気がします。くるしかったけど。
ところで、ちょっとネタバレめいてしまうのですが、『船を建てる』というマンガは、最後まで読むと大きな円環構造を為していることがわかるような仕掛けが施されています。
最初のうちは、不思議なアシカたちが繰り広げる小さな町のお話だったものが、次第に大きなバックグラウンドを有していることが明らかにされ、さらにその構造が、命(LIFE)のたどる道筋と重なるように配置されている構成は見事という他ありません。あの一作で「世界」そのものを体現し、全肯定する力強い傑作です。
そして、「船、罪、王様。そしてパレード」というSSは、タイトルを英語にすると「ship, sin, king, and the parade」→「ship sinking, and the parade」→「沈む船、そしてパレード」となります。『船を建てる』へのあからさまなリスペクトです。
これが、再録誌の構成では「空港にて」につながり、シリアス3篇につながるように配置されているのは、わざとでした。
たとえ命が途絶えても、キャラクターである彼らにはいろんな「旅路」が用意されているのではないかなあと考えた結果、『船を建てる』の「LIFE(生命、生活)賛歌」 に少しでもあやかりたくて考えた目次構成となりました。
再録本を作るにあたっていちばん苦労したのは「校正(校閲ではなく)」でしたが、次に悩んだのがこの目次構成でした。
なんせ何も考えずに書き散らかしてきたので、まとまりのある一冊にしようとしてもならない。なにをどうやってもごっちゃごちゃ。二ヶ月以上悩んでいた記憶があります。
もう放り出して発表順に収録しちゃおうかなと考え始めていた頃に、前出の『零號琴』を読んで、「私はなんで二次創作を書いたんだっけ」と一度だけ真剣に向き合ってみようと考えるにいたり、結果ようやく「自分の書いたものに広がりなんかあるはずない、何か芯がある筈だ」という当たり前のことに気づけました。
そこから導き出されてきたのが、自分の好きな作品の集積だったというのは、当然といえば当然だけどあまりに捻りのない結論で、いかに自分が何にも考えていないつまらない人間であるかが露呈し(ていた事実に気づき)、一人めそめそする羽目になりました。
けど、やって良かったんじゃないかなと思っています。理由はない。勘。
そんな感じで、『旅とパレード』にはわりと私しかわからないものが詰まった作品になってしまった気がします。まあメキシコの真の漢も「他人と理解し合えるならお前は小説を書いていない」「お前の書いた小説はお前にしか理解できない」って言ってるから、そういうものなんでしょう。
反省点はいっぱいあって、いくら再録だからって、いちおう章立ての最初に各章の説明をかるく付けておくべきだったんじゃないかとか(せめて現代AUの設定くらい付けろよ判らねえよ)、あんなにあんなにあんなに見直したのに誤字あるじゃねえかクソクソクソのクソッタレがとか、なんか全体的に上に寄って見える日があってそういう日は落ち込むとか、色々ある。
でもまあ、本を作るのはすごい楽しいし紙選んだり装丁考えるのは楽しすぎておかしいから、これからも懲りずにヤクをやる感じでやっていきたいと思います。その時は、もし好みが合えば買ってやってください。
だらだらと書いてしまったものを読んでくださってありがとう。
またお会いしましょう。