[kylux] ゴーストはささやく

ゴーストはささやく

1.

 その屋敷は、小高い丘の上に建っていた。
 しんと静まりかえった広い玄関ホールに、レンはしばし立ち尽くす。深夜の暗い屋敷は、人の気配はこそりともしない。
 隣に立つハックスをこっそり盗み見ると、彼はランタンを顔の高さまでかかげ、心細そうに正面の大階段をじっと見つめていた。
 階段は、二階にのびる途中から左右にわかれ東西にのびている典型的なつくりだ。手すりには豪華とは言えないまでも、そこそこに凝った意匠の彫刻がほどこされているのが、ランタンのかすかな灯りでもかろうじて確認できた。
 なるほど、いかにも地元の小規模な名士の屋敷といったふぜいだ。
 不意に、風もないのに灯火が揺れた。吹き抜けの高い天井を覆う影も、いっしょにゆらりと揺らぐ。周囲の闇が、いっそう濃く際だった。
 ハックスが小さく息を呑む。
 ――ハックスのやつ、本気でびびってるな。
 レンは早くも、今夜の冒険を後悔し始めていた。

 兵士とハックスが揉めている場に行きあったのは、ただの偶然だった。
「でも、あそこに泊まって以来、おかしくなった奴はたくさんいます。オレの同期は、きっと」
「その報告なら、すでに受けている。しかし、彼は元々精神が不安定だったとも聞いた。いたずらにことを大きくするのは得策じゃなかろう」
「けど将軍。急に死ぬような奴じゃないんです。信じてください」
「しつこいぞ、君。いいかげんにしないと――」
「騒々しいな。何事だ」
 通路ばたで一介の兵士と言い争う将軍などという異例中の異例の事態に、レンはつい会話に割って入った。急なレンの登場に兵士は狼狽し、ハックスは面倒くさそうに眉をひそめた。
「なんでもない、ただの集団パニックだ」
 あっちに行っていろとばかりに手で追い払う仕草をするハックスとは対照的に、兵士はさきほどの狼狽も忘れて前のめりになる。
「騎士団長! お願いです。丘の上の宿舎をきちんと調査してほしいんです!」
 覚悟を決めた様子で頼み込む兵士の必死な顔に興味を覚え、レンは重ねて問うた。
「集団パニック? 調査? いったいなんの話だ」
 その兵士のいうには、現在宿舎としている丘の上の屋敷で、不気味なことが頻発する。夜中になると妙なささやき声や、歩き回る足音、凄まじい勢いでドアを叩く音などを聞く者が続出した。尋常でない頻度に、みな一様に怯え、様子のおかしくなる者も後を絶たない。そしてとうとう先日、ある一人のトルーパーが自殺してしまったというのだ。
「東棟二階の一番奥の部屋で、なにか見たって、アイツ言ってたんです。なにかって何だよって聞いても、震えるばっかりで。その直後なんです、部屋のバルコニーから、身を……」
 悲しげに身を震わせる兵士の話を黙って聞いていたハックスだったが、そこでとうとう我慢ならんと言いたげに口を開く。
「その話なら、私も医療記録を見た。彼は希死念慮をもっていて、現在治療中とも記されていたぞ」
「オレ、聞いたことあるんです。死にたい気持ちが強いやつは、あっちに引かれやすいヽヽヽヽヽヽんだって――」
「ばかばかしい、順序が逆だろう!」
 ハックスに一喝され、兵士はしゅんとうなだれた。続けて、彼はレンにも唾を飛ばして抗議する。
「大体、カイロ・レン。貴様も貴様だ、関係ないことに口を出すな!」
 激昂しているようだが、しかしどうも様子がおかしかった。いつもの彼らしくもなく、早急に話を打ち切ろうと焦っているようだ。

 レンには、その理由は大体予想がついていた。
 ここだけの話、ハックスは怖いもの、とくに幽霊のたぐいが嫌いだ。
 それも、ちょっとやそっとというレベルではない、異様な怖がりなのだ。
 以前、寝物語に怪談めいた話をしたことがあった。他意はなかった。大の大人が怖がるような話でもなく、定番中の定番で、どちらかといえば笑い話に近いような話だ。
 しかし、ハックスは明らかに嫌そうな反応を示し、レンが気にせず話し続けると、なんと背を向けて眠ったふりを始めたのだ。どんなに激しい行為の後でも、薬なしでは寝られない男が、だ。
 狸寝入りに決まっていた。
 が、レンは騙されたふりをして自身も眠ったふうをよそおい、彼の様子を観察してみた。すると、しばらくはレンから離れていたハックスだったが、レンが寝たと確信したとたん、そばまでにじり寄ってきた。
 それだけではない。
 眠るレンの首に、そっとしがみついたのだ。
 空寝を悟られぬよう必死に目をつむり続けながらも、レンは嬉しさと驚愕のあまり叫ぶところだった。
 ――もしかして、こいつ、オバケが怖いのか……!
 間違いない。彼の肩が小刻みに震えていたのが何よりの証拠だ。
 それからも何度か、何食わぬ顔で不自然にならない程度に幽霊譚や怖い噂などをしてみたが、結果はいつも同じだった。そういう話題を出すたびに、ハックスは不機嫌になったり、話題をムリヤリ変えたりする。そしてその後、レンとの距離が急に近くなる。さりげなく身体のどこかに触れるようなポジション取りをするのだ。
 レンは内心で快哉を叫んだ。
 かわいい。
 本人は隠しおおせていると思っているようなのが、またかわいい。
 ――これは、俺だけが知る彼の秘密だ。
 別にそれを知ったからどうこうしようという気はなかった。ただ、誰も知らない彼の一面を、自分だけが知っているというのは、なんとも言えない優越感があったのだ。
 だから、お化け退治のまねごとをしようと言い出したのも、ハックスを怖がらせたいというよりは、純粋にかわいい彼をもっと見たいという思いからだった。

「成る程な。なかなかに由々しき事態じゃないか。そうだ、将軍。俺たちでその宿舎を調べてきてやろう」
 わざとらしく重々しく答えたレンに、ハックスと兵士が同時に悲鳴をあげる。
「なっ――おい、レン!」
「本当ですか?!」
「ああ、兵士たちが快適に過ごせるように配慮するのが上の務めだと、将軍も常々言っているじゃないか。だろう?」
「馬鹿も休み休み言え。それとこれとはまったく別――」
「おや、それともなにか、将軍様は幽霊の存在を信じてでもいるのか?」
「そ、そそそそんなわけ……そんなわけない、だ、ろう!」
 ハックスの声が少し裏返ってしまっていることに吹き出さぬよう、レンは必死で真顔を作りながら続ける。
「それなら何の問題もないな。ちょうど退屈していたところだ、今夜は幽霊退治としゃれこもうじゃないか」
「あ、ありがとうございます!」
 何度も敬礼を繰り返す兵士に頷くと、レンはハックスの肩を抱きかかえるようにしてその場を立ち去った。
 冗談じゃない、何を考えている、離せバカとわめくハックスの目尻に光るものを認め、レンは満面の笑みを浮かべた。

 そして今、件の建物にいるというわけだ。
 レン自身は、ハナから幽霊など信じていない。フォースを感じ取れない者たちが、大きな力の流れを読みまちがえたか、断片的に見かけてしまったものを勘違いして大騒ぎしているにすぎない、と考えている。
 しかし、深夜の屋敷はそんなレンでもじゅうぶん薄気味悪かった。
 兵士が恐ろしげに語った屋敷の由来も関係しているのかもしれない。
 曰く、地元の名士の息子が身分違いの恋を両親に反対され、自殺したという。彼の死後、一族には次々と不幸が襲いかかり、たくさんの者が気味の悪い方法で命を落とした。息子のたたりと考えた当主はこの屋敷を手放したが、奇妙な死亡事故は止まることなく、一族は没落し、最後には絶えてしまったらしい。
 そんな気の重くなる歴史に呼応するかのように、館の空気は異様に重苦しい沈黙に充ちているように感じられた。
 ときおり、どこからともなく古い館特有の得体の知れない音が響いてくるのも不気味だ。
 ――これは、肝だめしにしても少々キツいかもな。
 悪ふざけがすぎたかとハックスを見れば、案の定、ランタンに照らされた彼の顔色は蒼白をとおりこして死人のようだ。
「将軍」
 心配してレンが声を掛けたとたん、彼はふぇっという声をあげて身を縮こまらせた。
「オイ……あんた、大丈夫か?」
「きゅ、急に話しかけるな! 私は平気だ! さ、さっさと、い、行け!」
 高圧的な口調とは裏腹に、ハックスはそう言いながら不安そうにレンに寄り添ってくる。
 ――言ってることとやってることが逆だぞ……。
 内心で呆れながら、レンは無言で手を差し出す。その手を見てハックスが言う。
「な、なんだ、この手は。わ、私は別に怖がってなんか」
 ごちゃごちゃと文句を言いながら、しかし素直に手を繋いでくる。本当に嫌なら、今頃レンの顔にはひっかき傷ができていただろう。
 やれやれ。こんなときまで素直じゃないとはな。
 不安な先行きを思い、レンは悟られぬよう、ひとり小さく溜め息をついた。