彼は美しい。
出来たばかりの肖像画を眺め、あらためて私は思う。だが、感慨を新たにしたのは、絵画の完成度が高いからではなかった。むしろその逆だ。
この絵の中に「彼」はいない。
それに気づくのは私と、絵のモデルである当人だけだろう。
そういえば、と私は思い出す。これを描いた画家は媚びるよう何度も、その肌を褒め称えていた。モデルでいることに飽き飽きしているルーファウスが、無表情の下に怒りと侮蔑を押し隠し、憂さ晴らしとばかりに笑顔で皮肉を口にするたび、私は笑いを堪えるのに必死だった。
彼の美しさを賛美する人間は、掃いて捨てるほどいる。
端正な顔立ちは勿論、画家のように、その肌に惹かれ、恥ずかしげもなく賛美する者。たんに「抜けるように白い」と表されることもあれば、雪花石膏や陶磁器に比する者も後を絶たない。あるいは、何者にも散らされていない雪に喩え、好色な目を向ける不埒な者さえ。
そうした美辞麗句が、見返りを求める下心に塗れた綺羅きらしいだけの空疎な言葉であったとしても、褒めすぎだと異を唱える者はいないだろう。
それほどまでに、彼の美しさは群を抜いて目立つのだ。
そして、尊大な王の傍らに影として寄り添う私は、だから毎日、有象無象の空言に笑いを噛み殺す。
彼らは気がつかない。
その肌の白さが、雪花石膏のように、明らかな白さではないことに。
ほんの少しだけ昏く、夜の翳りを含んでいるということに。
彼の肌は、たとえるなら月の光に濡れる百合の花だ。膏をたっぷり含んだ乳だ。墓所の土深く眠る、死者の揺籃たる柩だ。そのような言葉こそが、彼の人の膚には相応しい。だが、そんなふうに彼を讃える者はいない。
無理もない。
ひんやりした肩口にそっと口づけたときの、しっとりと吸い付くあの感触を、彼らは知らないのだから。
どんなときもしんとつめたい皮膚が、私の指の動きに、唇の熱に、吐く息に呼応し赤く染まり、熱くどろどろと溶けてゆく様を、彼らが知ることはない。永遠に。
のけ反った喉が暗闇に浮かび上がり、ほんとうに魚の腹のようだと驚くことも、ふだんは朗々と響き笑う声帯がかぼそくきれぎれの吐息に震え、快感に打ち震えて恥知らずな大声を挙げることも。美しく整えられた白金色の髪が乱れ、頭皮から立ち昇る湿った汗の匂いが、どれほど甘美であるかも。長い睫毛が震え、目尻には涙を湛え、せつなげに身を捩り、私を、私だけを呼ばわる媚態の狂おしさは、この心を掴んで離さない。貪欲にこの身に跨がり、あるいは背に縋り付き、立てられた爪が理性を引き剥がす、その痛み。たがいに揺さぶり合い、掻き乱し合い、欲望の中心同士で呼応する獣の魂の交歓、その猛々しさ。
彼らは何も知らないのだ。
私だけが知る。
本当の彼の美しさを。浅ましさを。気高さを。