[kylux] ゴーストはささやく

3.

 階段を上がりきり右手に折れると、建物の左翼棟に出る。
 意外なことに、二階はほのかに明るかった。
 まっすぐ伸びた廊下の、その突き当たりの壁に、高い天井まで届く大きな縦長の窓が嵌め込まれ、そこから月明かりが射し込んでいた。
 廊下の両側には、ずらりと居室のドアが並んでいる。扉はどれも背が高く、飾り枠には重々しい彫刻が施されており、オーク材は分厚く、すべての音を吸収するかのようにどっしりと構えていた。
 本来であれば、そこここに彫刻や飾り机が置かれていたようだ。だが、宿舎にするにあたってすべてを運び出したらしい。そのせいか、どこかがらんとした印象があった。
 辺りはしんヽヽと静まりかえっている。
 目的地は、突き当たり、左手の部屋だ。
 二人はなんとなく顔を見合わせると、無言で長い廊下に足を踏み出した。

 おぼろな月明かりのおかげか、ハックスの緊張は若干緩んできたようだった。だが、歩きながら、レンは嫌な予感に苛まれていた。
 歩を進めるごとに、空気が重くなっていくのは気のせいだろうか。
 まるで、ふたりが近づくことを拒むかのように、空気が重くなり、ねっとりしてくる。
 ――なんだか、巨大な生物の消化器官に近づいていくようだな。
 そんな想像をして、レンは首を竦める。
 不意に、ゴトリと重いものが床に落ちるような音がした。
 続いて、なにかを引っ掻くような音。
 二人の足が止まる。
「いま、何か」
「しっ」
 また聞こえた。
 尖った爪で木をカリカリやるような、微かな物音が、廊下の奥からたしかに聞こえる。
「なんだ……?」
 声をひそめてハックスがささやいた。恐怖のあまり無感情になったような、平板な口調だった。
「……わからない。何か、生き物かな」
「何かって、何だよ」
 苛立ち交じりの泣きそうな声でハックスが怒る。
「俺に聞くなよ、この星特有の害獣とかじゃないのか」
「ここはファースト・オーダー精鋭の清掃部隊が消毒済みなんだぞ。生物なんかいるはずないだろ」
「知らないよ、もしかしたら特殊な――待て」
 レンが急に口を閉ざす。何かを引きずるような音が聞こえた気がした。
「何を……金属か?」
「なんで金属なんだよ! 甲冑か!? 呪いの鎧か?!」
「うるさい、聞こえないだろ……さっきより……近づいて来てる……? どこに……」
「レン、いい加減にしろ!」
 泣き声をあげたハックスを制して、レンはさらに耳を澄ませようとする。
 次の瞬間、すぐそばからズズズという重たい音が二人めがけてまっしぐらに突進してきた。
「ハックス、下がれ!」
 鋭い叫びとともにレンは音めがけてライトセーバーを振り下ろす。
 硬い手応えと、ジュッという嫌な音、何かを焼き切る感触があった。
「何だ? 何なんだ?!」
 狂ったようにハックスが背後で騒ぐ。
「……わからん」
 音は止んだ。
 ライトセーバーの赤い光にぼんやり照らされた暗がりに、レンは目を凝らす。
 そこには、真っ二つに割けた――
「バケツ、か?」
 ブリキ製とおぼしきバケツの残骸が転がっていた。
 そしてさらにその中央には、鮮やかな緑色の毛を生やした、握りこぶし大の生物が死んでいた。バケツと同様、やはりレンのセーバーで一刀両断されている。
「なんだ」
 思わず気の抜けた声が出る。
「フィンクラットじゃないか」
 拍子抜けしたレンの様子に、マントにしがみついていたハックスが顔を上げるのがわかった。
「ふぃんく、らっと?」
「そう、鼠だ。――あんた、アケニス出身なのに知らないのか」
 目に痛いほど鮮やかな蛍光緑の剛毛を持つフィンク鼠は、湿気の多い地域に棲息することで有名だ。好事家のなかには飼育する輩もいるらしいが、イカれた目つきと、一度走り出すと無軌道に爆走する様子は、別名クレイジー・ラットと呼ばれるほど激しいことで有名だった。
 鼠と聞いてようやくレンの背後から現れたハックスが、憮然としたように言う。
「私が知るわけないだろう、鼠の種類なんか」
「とにかく、さっきの物音はコイツだ」
 レンはハックスにもちいさな獣の死骸が見えるよう、ライトセーバーを近くにかざしてやった。
「何かの拍子にバケツ被っちまって、動揺して走り回ってたってとこだな」
 こんな乾燥した星にもいるんだなこの鼠、と感心するレンに、ハックスはなおも不審そうな顔をする。
「でも、害獣駆除なら徹底的にやったと報告があったのに――」
「どっかの神経質なボスが怖すぎて、できてないのにできたって言わざるを得なかったんじゃないのか」
「なんだと? 我が軍が虚偽の報告をおこなうとでも言う気か?」
 唐突に、館内の灯りがともった。
「わ、な、なんだ?!」
「電気?!」
 同時に、ハックスの腰に付けられていたコムリンクが、やかましいほどガーガーと鳴り出した。唐突な異音に、二人は肝を潰す。
「うわあ!」
『……答、応答願い……将…………、騎士団……、こちら管理棟、応答…………』
「な、なんだ、この音…………え、おい、ハックス」
「ど、どうなってるんだ! どういうことだ!? 説明しろ、おい、レン!」
『騎……団長、将軍……こちら……管理棟……』
「ハックスってば」
「ああ、もう、うるさいぞ、このコムリンク! ガーピーガーピー、何なん……ん? コムリンク?」
 涙目で喚き散らしていたハックスが、ふと我に返る。
「私のか?」
「はやく応答しろよ、管理棟からみたいだぞ」
 一足先に冷静さを取り戻したレンが促すと、ハックスは一瞬決まり悪げな顔をした後、フンッと鼻息も荒くマイクを取り上げた。
「――あ、あー、あー。聞こえるか? こちらハックス将軍だ。……一体、何事だ」
『ああ、良かった! 将軍、こちら管理棟です』
 流れてくる音声は、まぎれもなく先ほど話をした管理人のものだった。彼はハックスが応答すると、あからさまに安堵したような口調になる。そして、理由はわからないが館の電気回路が突如復旧したので、二人がどうしているか気になって連絡したのだ、と告げた。
「我々のほうは、特に異状もないが――」
 ――何が〝我々〟だよ。
 鼠にベソかいてたくせに。
 レンの思いは、表情に出ているのだろう。無線で話し続けながら、ハックスはレンに渋面を作ってみせる。
「――突然消えた灯りが、今度は突然ついた。どういうことなんだ。一体、原因は何なんだね」
『大変申し訳ないのですが、どうにも判らないのです』
「貴様、いつまでもそんなことでは――」
 己の醜態をおくびにも出さず、偉そうに説教を垂れ始めたハックス豹変ぶりに、レンはこみ上げる笑いを噛み殺す。
 ハックスは横目でぎろりと睨むと、無言でレンの足を蹴った。
「痛!」
『おや……どうかされましたか?』
「何でもない、騎士団長殿が蹴躓けつまずいただけだ。――それより、通気口とやらを調べてくればいいんだな?」
『はい。こちらのモニターには、例の部屋にエラー表示が出ています。どうやら蓋が外れるか何かしているようで……』
 管理人はハキハキと答える。
『これから空調を復旧させますが、おそらく大きな異音がすると思われます。その音が、怪異現象と言われていた〝謎のノック音〟の正体かと――』
 よどみない管理人の回答に、ハックスの機嫌はみるみるうちに回復していく。
「だから言っただろう、怪異などあるわけがないと。貴様らのメンテナンス不足じゃないか」
『ハ、申し訳ないかぎりで……』
 二人のやりとりを聞くとはなしに流し聞くうち、レンはふと、違和感を覚えた。
 ――なぜ、あの管理人がハックス専用の回線を知っているんだろう。
「まあいい。とにかく、我々が調査をして、ただのメンテナンス不良だったとわかればヒステリーも収まるだろう。まあ、貴様らは減給処分を覚悟しておきたまえ」
 さっきまで怯えてレンにしがみついていたとは思えない、高圧的な態度で無線に答えているハックスを眺めながら、レンは考え込む。
 事前にハックスが管理人に教えたのだろうか。
 いや、俺はそんな現場を見ていない。
 それに、ハックスの性格からして、雑事を自分の手で行うとはとても思えない。
「――おい、騎士団長! レン!」
 考え込んでいたレンに、ハックスの声が飛ぶ。慌てて顔を上げると、いつの間にか通信を終えたハックスが、こちらを見ていた。
「何をぼんやりしている」
「なあ、ハックス。あんた、一体いつ、あの管理人に――」
「話を聞いていなかったのか?」
 疑問を問いただそうとしたレンの言葉を、ハックスは苛立たしげに遮る。
「換気扇がすべての元凶だと、管理人も言っていただろう。ともかく、灯りさえ戻ればこっちのものだ。さっさと例の部屋を見てしまうぞ。――ほれ、行け」
「……はい」
 先に行けと顎で示すハックスの表情を見て、こりゃあ何を言っても無駄だなと判断したレンは、疑問はとりあえず棚上げしておくことにする。
 そして、苦笑しながらハックスに従い、廊下の先を急いだ。