ねむりひめ
──将軍、お疲れなのだろうか。
目の前にでんと鎮座する上司の顔を眺めながら、ミタカは困惑していた。
ゆるく閉じられた瞼の皮膚は薄く、白く、血の色が透けて見える。まっすぐに伸びる睫毛。高く通った鼻筋のカーブは、溜め息が出るほど美しい。
の、だが。
──いくらなんでも、近すぎないかな……。
それもそのはず、ミタカの鼻先とハックスの顔面のあいだの距離は、数センチしかなかった。ちょっとでも身動ぎすれば、互いの鼻がぶつかってしまう。
夜勤のための仮眠から目覚めたミタカの視界は、当初は肌色一色に塗りつぶされていた。
なんじゃこりゃとピントの合わない寝ぼけ眼を凝らす。次第に像を結ぶなか、ようやく浮かび上がったのは、どアップの将軍の顔面だったというわけだ。
目覚めたら添い寝をされていたことは、これまでにも何度かあった。見つかったら大変なことになるからやめてくださいと怒るミタカの抗議は、
「お前の近くはマイナスイオンが発生しているからよく眠れる。上官の安眠を妨げる権利はお前にない」
というハックス独特の無茶な理屈で却下されてきた。
今日も、それの亜種と言えば言えなくもないのだろう。
──いや、それにしても。
近い。
近すぎる。
面付き合わせるとはいうが、もしやこんな至近距離でも眠りこけてしまうほどに、上司は疲弊しきっていたのか。
何故気づかなかった、とミタカは自分を責める。
そういえば、今朝からハックスはやたらと瞑目していた。人の目がなくなると、すかさずと言っていいほど目をつぶっていた。
また謎のマイブーム(スムージー健康法とかエアロビとか、あの類いの)が訪れたのかと大して気にしていなかったが、迂闊だった。
──寝かせて差し上げよう。絶対に起こしてはいけない。
そう心に決めて、ミタカははたとある事に気づいた。
起きられない。
ミタカは壁際すれすれで眠っていたのである。
ただでさえ幅の狭い仮眠用ベッドは、ミタカとハックス二人でいっぱいいっぱいだ。少しでも動けばハックスにぶつかる。下手をしたら、上官を転げ落としてしまうことにもなりかねなかった。
──ど、どうしよう。
出勤時刻は刻々と迫っている。グズグズしていたら誰かが起こしにくるだろう。
かといって、ここまで疲れ果てている上官を起こすなど、ミタカには到底できない。
──絶体絶命だ──!
一人静かに絶望するミタカは、知るよしもなかった。
今日が「キスの日」と知った上司が、今この瞬間も、やきもきと彼のキスを待っているという事実を。