幹部な二人

「なあ」
 久しぶりに履いた海パンのウエスト部分を所在なげにいじりながら、レンはハックスに問い掛ける。
「あんた、暑くないのか」
「私が暑そうに見えるか?」
 晴れて澄み渡った空。
 まぶしく照りつける真夏の太陽。
 波のない穏やかな海と白い砂浜を背に、ハックスは派手なサングラスを身につけてビーチ・チェアにふんぞりかえっていた。海辺に臨むプールには最も相応しくない格好──いつもどおりのロングコート、制服、手袋、ロングブーツのままで。
「……見える」
「別に暑くない」
 すずしげに答えるその顔は、たしかに汗ひとつかいていない。
 プールに浮かべたユニコーン型のフローティング・チェアに座り、ぼうっとした顔を向けているレンを一瞥すると、ハックスはおもむろに傍らのグラスに手を伸ばした。バカにしたようにヂューと音を立ててストローを吸う。オレンジとピンクの混ざった液体がト音記号の形を描いてハックスの口中に消えていくのを、レンはぼんやりと見送った。グラスに突き刺さった極彩色のパラソル飾りが、黒い革手袋とあまりにもアンバランスだった。
「それ、何だ?」
「セックス・オン・ザ・ビーチ」
「はっ?」
 バシャンというのは、バランスを崩したレンがプールに落下した音だ。派手な水しぶきが上がる。ハックスが小さく眉をしかめた。
「ウォッカだ。あとピーチ・リキュールとか、パイナップル・ジュースとか……」
「……ああ、酒の名前か……」
 やがて水中からチェアに這い上ってきたレンが、気まずそうに応じる。その動作は些かぎこちなく、ピンクのユニコーンの鼻面を握りしめてみたり、びしょ濡れになって頬に貼り付く自分の髪を絞ってみたりと忙しない。
 しかしレンの不審な挙動などいっさい気にしていないのか、ハックスはノーリアクションで淡々としている。サングラスのせいで表情はまったく読めない。
 しばらくのあいだ、沈黙が流れた。
「プール、入らないのか」
 レンが再び口を開く。
「入らない」
「水着がないのか」
「持っている。だが着ない」
「なんで」
「他人に裸体を晒したくない」
「……別に、晒さないタイプのもあるだろう。ツナギっぽい、年寄りが着てるみたいな、ダサいやつとか」
「ダサいだろ」
「…………ああ、まあ」
 再び沈黙。
 ハックスがヂューとカクテルを啜る。
 レンが足だけでバチャバチャと水面を叩く。
 遠くからは、大勢の非番トルーパーたちがはしゃぐ歓声と、水しぶき、ビーチボールを弾く音がかすかに聞こえる。
「あっちは賑やかだな」
「あのな。なんでここだけ誰も寄ってこないんだと思う」
 ボソッとつぶやいたハックスの口調に非難めいた響きを嗅ぎ取り、レンはムッとして言い返す。ここ、と言いながら、周囲を指し示す。
 いくつも設置された広いプールのうち、二人がいる空間だけはバリアでも張ったように人気(ひとけ)がなかった。五つほど離れたパラソルの下、ようやくポロシャツで読書するオフィサーが一人いるだけだ。
「……貴様がいるからだろ」
「あんたがいるからだろうが!」
 何を今さらと言わんばかりのハックスに、レンは思わず突っ込んだ。
「俺の顔はほとんど誰も知らない。基地のスキャナーだって、マスク被ってないと俺だと認識しないくらいなんだから」
 素顔だとエラーが出るんだぞ、ふざけてやがると不貞腐れたようにレンは仰向けになる。ユニコーンが大きく揺れて、チャプンと水面がさざ波だった。容赦なく降り注ぐ光がまぶしい。
「将軍殿が、誰が見ても一目で将軍殿とわかる格好してこんな所にいたら、平の兵士はくつろぐどころか寄っても来られないだろ。常識で考えろよ」
「ま、静かでいいじゃないか。──お前もどっか行っていいんだぞ、レン」
 ようやくレンに顔を向けたハックスは、口元を歪めてみせる。レンはべえと舌を出した。
「イヤだね。あんたこそあっち行け」
「先に来たのは私だ」
「一緒に来ただろ?!」
「お前が勝手にくっついて来たんだろうが!」
 売り言葉に買い言葉とはこのことで、軽口の応酬のはずが二人の語気は次第に荒くなっていった。
「大体、そのバカみたいな馬の浮き輪は何だ。おまけに水着を着ろだの、一口飲ませろだのと。そのくせセックスの単語ひとつに動揺しやがって、中学生か!」
「ど、動揺なんか、し、して、ない……!」
「してるな、今も」
「うるさい! 一口飲ませろとか言ってないぞ! あ、あと、これはユニコーンだ、馬じゃな──」
 レンが憤然とユニコーン号の角を掴む。
 そのとき、耳をつんざくような警報が鳴り響いた。
 一瞬にしてBGMのボサノヴァ風帝国マーチと自然環境音がストップし、壁一面に投影された海辺の映像が掻き消えた。スターキラー基地の灰色の壁面が剥き出しになる。
 あたりが騒然とし始めると同時に、ドロイドの平板なアナウンスが告げる。
「エネルギー回路に異常発生。エネルギー回路に異常発生。電力確保のため、娯楽施設の使用を一時停止します。D3区画担当エンジニアは、全員直ちに現場に急行してください。繰り返します」
「……またか」
 太陽光を模した光から一転、赤い照明がおおげさに点滅しながら温水プールの水面を照らすのを見て、レンが呆れたように鼻を鳴らす。うーんと伸びをしながらハックスが立ち上がった。まだサングラスは着けたままだ。
「最近、こういうの多すぎないか? 動力確保の方法に問題があるとしか思えない……本当に完成するのか、この基地」
 大儀そうにプールから上がりつつ、ブツブツと不満をこぼすレンに、ハックスはバスタオルを放り投げる。
「鋭意精査中だよ、騎士団長閣下。それともナニか? 使えん部下たちから上がってくる大量のクソみたいな報告書の山を、一緒に片付けてくれるか?」
 投げつけられたタオルを器用にキャッチし、レンはニヤリと笑った。
「それか、エネルギーの輸送方法を一から考え直して、俺たちは拠点を移すってのはどうだ? 今度は、そうだな、本物のビーチがある暖かい惑星にでも」
「海のある惑星? どこだ、モン・カラか」
 調子を合わせてハックスも口角を上げる。レンがくすりと笑った。
「あそこじゃ海中だろ。海辺なら──ナブーとかいいんじゃないか。あんた行ったことあるか?」
「あるわけないだろう?! 今行ってみろ、あっという間に蜂の巣だ」
「すぐに形勢逆転するって、先週の演説でぶちかましてたような」
「……あれは、アジテーションだ。方便だ」
「よし、ナブーだ。いつかナブーに行こう。それで、本物のビーチで乾杯しよう」
「セックス・オン・ザ・ビーチ?」
「それ美味いのか?」
「美味いよ、甘くて」
「じゃあ、それで」
「自分で注文できるようにしておけよ」
「……あんたに任せる」
「ガキか! 中学生は飲酒禁止!」
 周囲のトルーパーたちがあたふたと右往左往するなか、幹部二人は愉しそうに会話しながら悠然とプールサイドを歩いていく。
 後にはユニコーンの浮き輪だけがひとつ、ポツンと水面に取り残されて揺れていた。