キャット・ファイト

「あ、こっち来ちゃダメだろ」
 寝室に侵入してきたミリセントを見つけるや否や、ハックスは俺を放り出してベッドから飛び降りた。
 慣れた手つきで彼女をひょいと肩に抱えあげながら、気味悪いくらい優しげに(まさに『猫なで声』だ)語りかけ、こっちを振り返りもしない。ドアの外に降ろす際、鼻に小さくキスまでしているのが見え、思わずムッとした。それ、俺にするはずのキスじゃないのかよ。
「なんだよ、可哀想じゃないか。ミリ、いいよ、おいで」
 反射的に、俺は彼女を呼び寄せた。彼を困らせてやりたいだけの、ただの腹いせだ。
 普段は俺など見向きもしないミリセントが、こういうときばかりはちゃんと言うことを聞くから不思議だ。閉じかけたドアの隙間をするりと抜けて、猫はまっしぐらに俺めがけて走ってきた。現金な所は飼い主にそっくりだ。
「こらミリ! 戻りなさい! おいレン!」
 慌てて捕まえようと伸ばした腕を見事にかわされて憤る彼を無視して、俺はチッチッと軽く舌を鳴らして彼女を呼び寄せる。ひょんとベッドに飛び乗ってきたところをつかまえると、彼に見せつけるように鼻先にちゅっとキスをした。
 みゃう。
 まるで異議を唱えるかのようにミリセントが鳴いた。俺はかぶりを振る。
 ――いいや、それは違うぞ、ミリセント。さっきのキスは、本来俺のものだったんだ。盗んだのはお前だぞ。
「どういう風の吹き回しだ、お前がミリを呼ぶなんて。また引っ掻かれるぞ」
 訝しみながら再度こちらに戻って来る彼に、俺は涼しい顔で答える。
「返してもらったんだよ」
「はあ?」
 まったく意味がわからん、とでも言いたげな困惑顔のまま、彼はもう一度彼女を持ち上げる。そのまま今度こそドアの外に彼女を出し、さっと扉を閉めた。
「とにかく、寝室には入れない。それがうちの規則だ。いいな……あ」
 ハックスは突然、はたと何かに思い当たったように声を上げた。「返してもらうって、そういう……」
 バレた。
 どうせまたガキとかアホとか言うんだろうが、そもそもあんなに盛り上がってるときに俺より猫を取るあんたが悪い。
 フン、と鼻を鳴らしながらそっぽを向く。
 が、一向にいつものような罵声も、呆れ声も返って来ない。
 まさか本気で怒ったんじゃないだろうな、と恐る恐るハックスの方を窺うと、彼は口に手を当てたまま顔をあらぬ方に向けていた。
 顔が耳たぶまで真っ赤に染まっている。
 ――な、なんで??
「なんであんたが照れるんだよ!」
 急に恥ずかしさが込み上げてきて、思わず叫ぶ。彼が更に赤くなる。
「ああ、いや、その、なんだ」
 口の中でもごもごと何か言う。
 と、次の瞬間、物凄いスピードでベッドに飛び乗ってきたかと思うと、信じられないくらい優しいキスが、俺の唇を塞いだ。
 拗ねていたことなど、すっかり忘れた。
「悪かった、な」
 耳元で彼が囁く。猫なで声なんてレベルじゃない、とろけるほどに甘い声。
 これは、俺専用の声。
 ドアの外から聞こえ続ける抗議の鳴き声と、カリカリと扉を引っ掻く音に向かって、俺は内心でほくそえむ。

 悪いな、ミリセント。
 俺の勝ちだ。