恋人たちの距離

 レンが近い。
 ファースト・オーダー兵募集のために撮影されたポスター写真のデータを眺めながら、私は頭を抱えていた。

 今日の昼に行われた撮影は散々だった。そんなもの合成で良いだろうと突っぱねたのだが、「最高指導者直々のお達し」とやらで実写になった。にも関わらず、撮影に出向けばファズマは不在。どういうことだと目顔で撮影技師を問い詰めたが、彼は情けない表情を浮かべるばかり。
 仏頂面のレンと二人、黙々と写真撮影に挑むのは苦痛以外のなにものでもなかった。
 しかも、レンが近いのだ。
 最初は偶然かと思った。が、バミリテープの位置からして、明らかに彼は一ショットごとに私の方にじりじりと近寄ってきていた。
 昔であれば「しゃんと立て、馬鹿者が」と叱りつける所だが、今は腐っても最高指導者、決して公の場でそんな態度は取れない。
 撮影技師も困惑しており、当初は
「最高指導者、立ち位置をもう少し左に」
「将軍から離れてください」
 などと低姿勢に指示を出していたのだが、その度にレンが不機嫌になって行くものだからとうとう何も言わなくなってしまった。
 結果として、私の前にレンが立ち塞がるような、明らかにポスターの意図には不向きな構図となっていった。

 そして出来上がったのがこれだ。
 私の身体には、レンが完全にかぶっていた。
 しかも、ここまで我々が近いのであれば合成のファズマももっと寄せるべきだろうに、ファズマはなぜか一人離れて堂々と仁王立ちしている。正直に言えばいちばん見栄えがした。見ようによっては私が守られる最重要人物のようにも見えないこともないが、これではファースト・オーダー軍の将軍としての立場がない。
イライラしながらデータパッドの差戻欄をタップしようとして、目を剥いた。最高指導者の許可チェックが既についている。
 逆だろう、普通。
 下から通すのがチェックだろう。どういうことだ、一体。
 頭痛がしてきて、目頭を揉む。
 実は先日、演説の映像も収録したのだが、問題はこちらにもあった。しかも、やはりレンの奇行のせいだ。その時の様子を思い出す。

「将軍、映像に問題がある、とは一体……」
 呼び出された技師は不安そうに私を見た。新米だろうか、ずいぶんと若い男だった。気の毒なほど緊張している。
「忙しいところすまないな。だが、どうしても気になることがあってね」
 緊張をほぐすように微笑んでみせると、新米はあっけに取られたような顔をした。普段私が無表情でいる理由はここにある。二人きりのときに微笑むだけで、人は勝手に陥落してくれる。
「見たまえ、こちらが0:05」
 すっかり和らいだ表情の彼に向けて、撮影した演説映像を再生する。
 軍のエンブレムを背に、軍服を美しく着こなした私が映る。完璧な立ち居振舞い、完璧な髪型、完璧な声の張り、完璧な発音。煽るべきところは煽り、それでいて冷静さを失わない知性ある言葉選び。我がことながら惚れ惚れする。
「そしてこれが2:10。……わかるか?」
 その完璧な映像に、異変が起こり始める。
 一体どこから沸いて来たのか、レンが唐突にフレームインしているのだ。
 エンブレムだけだったはずの背後、その遠景に最高指導者が映り込んでいる。間違い探しかというレベルの小ささではあるが、確実に映ってしまっていた。
 怪訝な顔をして見守っていた新米が、うわっと声をあげた。
「ほ、本当にいる……」
 いかにもドン引きと言った風情に、わたしは心から満足する。そうだろう。発見した私もドン引きしたのだから。
「これでは心霊現象だ。最高指導者には申し訳ないが、彼をトリミングして欲しい」
「はい……」
 新米は嫌々といったふうに頷く。いかにも気の進まない顔だ。
「もし最高指導者に何か言われるようなことがあれば、将軍判断だと言えば良い。それでも文句を付けるようなら私に繋ぎたまえ。それから」
 懐から小さなブザーボタンを取りだし、彼に手渡す。
「万が一殺されそうになったら、このボタンを押せ。すぐに私と回線が繋がる。応援も寄越す。隙があれば私のところに逃げて来い。守ってやる」
 新米の彼は少し背が低い。私は目線を合わせるように腰をかがめ、いちばん穏やかに見える表情で微笑んで見せた。もちろん、いちばんハンサムに見える角度で。
「あ、ありがとうございます!」
「礼を言うのはこちらだ。君たち兵士の働きに報いるためにこそ、ファースト・オーダーはあるのだからな」
 感激に目を潤ませ、敬礼して去っていく新米の後ろ姿を見送りながら、彼と恐らくもう二度と会うことはないだろうなと私は考えていた。間違いなく彼はレンに殺される。ボタンを押す暇もなく。が、そんなことはどうでも良い。それまでの短い生活の中で私の評判を上げてくれれば、それで良かった。

 結局、予想に反して彼は殺されはしなかった。が、その代わり背後霊が削除されることもなかった。
 レンが映り込んだままの演説映像は昨日から放映され、さっそくトルーパー達の間で「恐怖映像」として噂になっているらしい。

 そこへ来て今日の写真だ。
 さて、どうしたものかと頬杖をついていると、執務室のドアが突如開いた。
 懸案事項の男が立っていた。
「最高指導者、どうされました」
 立ち上がる私に、レンはつかつかと近寄ってくるなり言った。
「あんた、最近俺を避けているだろう」
「避けている、とは──」
「とぼけても無駄だ」
 さっと掌を向ける。途端に私の身体は自由がきかなくなり、ふわりと宙に浮かんだ。そのまま壁に押し付けられる。
 ああ、またフォースチョークか、苦しいのは嫌なんだがな、とぼんやり考えていると、彼がさらに近寄ってきた。顔が間近に迫る。何かがおかしいぞ、と思った時には、無理やりキスされていた。
 相変わらず下手くそだった。
 情熱だけでまったくテクニックのない荒々しい接吻を受けること、恐らく五分。ようやく私を解放した彼の目はうるうると潤み、例の仔犬の目になっていた。
 ああ、まったく、しゃらくさい。
「御乱心ですか」
 わざとらしく唇を拭いながら尋ねると、濡れた瞳にひらりと怒りが閃いた。
「ふざけるな!誰も来ない。ドアもロックしたし監視カメラも切ってる。なんで」
 みなまで言わせず、彼の顎を掴む。今度は私からキスをする。
 唇の形を舌でなぞり、甘噛みし、誘うように奥まで侵入したかと思えば引き、ひとしきり翻弄する。玩ぶ。
 彼の吐息に劣情が色濃く滲み始めたところでサッと身を引いた。二人のあいだに唾液が糸を引いたのも、計算づくだ。
 浅ましく何かを期待するような瞳をわざと無視し、私は彼から離れた。
 困ったような顔で彼が俯く。
「レン」
 冷たい声で呼び掛けると、弾かれたように彼が顔を上げる。
「お前、近いぞ」
「……何の話だ」
「写真だ。今日の。それからこの間の演説映像。何故貴様が映り込んでいる」
「ああ、あれか」
 ばつの悪そうな顔で目を逸らす。イタズラを見つかったこどものような仕草に思わず絆されそうになり、自分を戒める。
「あれか、じゃない。こちらは大迷惑だ。トルーパー共が何て呼んでいるか知っているのか?」
「知らない」
「“恐怖映像”だ。貴様、背後霊呼ばわりされて良く平気でいられるな」
「俺は、守護霊のつもりなんだが」
「は?」
 今度は私の顔に?マークが浮かぶ。
「あんた、色々と脇が甘いから。あんたの背後には必ず最高指導者がいるとわかれば、手を出す奴も減るかと思って。それで」
「…………は?」
「だから──」
「いや、いやいやいや、待て」
 混乱する頭を必死に整理するが、理解が追い付かない。まあいい、とりあえず映像の方は置いておくとして、だ。
「じゃ、じゃあ、写真は?何故あんなに近い?嫌がらせか?」
「あ、あれは……その……そんなつもりはなかった……」
 レンの声がどんどんと小さくなる。
「……ち、近くに行きたかった、んだと……思う……最近、あんたが遠くにいる気が……するから……」
 ほとんど蚊の鳴くような声で打ち明けるレンを見て、私は失神しそうになる。
 天然か。
 職務とか、立場とか、こいつの辞書にその手の言葉はないのだろうか。
「あ、あのな、レン」
 ダメだ。くらくらする。
 まともに取り合う精神的な余裕が、今はない。
「私は、お前を避けているつもりはない」
「嘘だ。明らかに昔より同行任務が減っただろう」
「最高指導者と将軍がいつもワンセットで行動する方が、よほどおかしいだろう」
「それは……そうだが……」
「昔とは立場が違うんだ。弁えろ」
 諭すように言うと、レンはぶうと膨れた。クソ、かわいい。
「それくらいわかってる。ただ──」
「ただ?」
 言い淀む先は大体見当はついている。が、可愛さに免じて少し意地悪してやる。
「……せ、せめて……夜くらいは……」
「はっきり言ったらどうだ。そろそろ抱いてください、と」
「な……」
 嘲笑まじりにそう言ってやると、レンは屈辱と悦びの入り交じった不可思議な表情で私を見た。そして、ハッと何かに気づいた顔になる。
「あんた、俺にこれを言わせたくて、それで冷たくしてたのか?そういうことか?」
いや、まったくそんなつもりはない。
 予想外の言葉に、私は不本意ながら本気で動揺した。
 私はそこまで暇でも、四六時中こいつとのセックスのことを考えているわけでもない。というか、こいつが最高指導者になってから私の仕事は激増の一途を辿っているのだが、それについて何も思うところはないのだろうか。
 呆気に取られる私を置き去りにして、レンの機嫌は目に見えて良くなっていた。なんだ、そうか、と一人晴れやかな顔でぶつぶつ言っている。
 いや、そうじゃない。
 そう言いたいのだが、サディストのプライド(そんなものがあるのなら、の話だが)が邪魔して、私は私で言い出せない。
 なんとも不可解な状況になってきた。いや、解る、解るが。
 なんだこれは。
「すまなかった。俺ともあろう者が、あんたの意図を見抜けなかった。仕事のしすぎかもな」
 目元を朱に染めながら、レンは恥ずかしそうに言う。彼がこんな素直になることは稀だが、今はその時ではないような気がする。
 大体その「俺ともあろう者」の使い方は間違っていないか?
 貴様が仕事のしすぎだと?
 突っ込みが追い付かず、曖昧な笑みを頬に張りつけたままの私を尻目に、レンはじゃあ今夜、などとはにかみながら、来た時同様、唐突に部屋を出ていった。上機嫌で。

 どっと疲れが押し寄せ、私は椅子に倒れ込む。
 自然と大きな溜め息がこぼれる。
 机の上には、積み重なった膨大な量の仕事。
夜、あの色惚けがやって来るまでに、一体どれほどを片付けられるだろうか。
 胃が痛む。
 ──まったく、何が「あんたが遠くにいる気がする」だ。
 胸のうちで毒づく。
 この仕事の山のほぼすべてに、貴様の存在がちらついているというのに。

「私は、四六時中お前と一緒にいるんだぞ、馬鹿者が」

 私のぼやきは誰にも届かず、ただ宙に虚しく舞って消えた。

(了)


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