ゲームの凡才

「レン……?お前、ちゃんとそこにいるよな……?」
 不安げに俺に呼び掛けるアーミの問い掛けを、俺はわざと無視して黙りこむ。
「……なぁ、オイ……せめて……腕、支えて……」
 いつもの尊大な彼らしくもなく、もどかしそうに訴えながら、不安そうに首をめぐらせている。視界を覆われているせいで、俺がどこにいるかわからないのだ。
 俺はそんな彼をじっと見つめ、おもむろにフッと首筋に息を吹き掛けた。
 アーミがヒッと息を呑む。
「やめ……ッ!!」
 思いもかけない方向からの刺激に歪む彼の口許を見て、俺は小さく微笑む。
 闇の中に一人取り残される恐怖は、確実に彼を蝕んでいた。
 いつもの高慢なせせら笑いは今や失せ、汗がひとすじ、額から伝った。
 彼の呼吸が荒くなっていく。
「レン……ぅ、抜け……いや、頼むから……抜いて…………ッ」
 もはや悲鳴のような懇願を、しかし俺は無視する。
「ア、も……無理…………ッ」
 息も絶え絶えにアーミは絶叫すると、PSVRのHMDヘッドマウントディスプレイをかなぐり捨てた。

 テレビに映ったゲーム画面に、HMDが外れた旨を告げる警告が表示される。
 露わになったアーミの美しい顔は、怒気と恐怖で上気し、瞳は涙で潤んでいた。
 その綺麗な顔が、俺に向かって怒鳴る。
「電源抜けっつったろ、レン!何で抜かない!」
「いきなり落としたら本体に負荷掛かるだろ」
「俺とPS4どっちが大事なんだ!?」
「そんなんPS4だよ、proに買い替えたばっかなのに」
「買い換えたのは俺だ!!」
「大体、なんだよ、まだモールデッドすら出てきてなかったじゃん。ギブするの早すぎ」
「いや普通に無理だろあんなん?!邪悪すぎるわ、この館」
 その言葉を待ってましたとばかりに、俺はにんまりと笑う。
「……じゃあ、負けを認めるんだね?」
 アーミがぐぬぬ、と唸った。

 自慢じゃないが、俺はアーミが好きだ。
 引かれるくらい好きだ。

 アーミ。アーミテイジ。
 頭が良くて、顔が良くて、エリートで、口達者で、ロマンチックなデートがうまくて、意地悪なエッチも最高にうまくて、ただ、性格だけは人一倍悪い、俺の最高で最悪の恋人。

 俺は、彼に勝てない。

 能力がどうこうじゃない。
 バカみたいに彼が好きだからだ。
 喧嘩して彼が悪くても、いつも結局は俺が引く。
 俺がなにかに怒っても、話を逸らされキスをされれば許してしまう。
 セックスだって、たまにはボトムじゃなくてトップが良いと言っても、いつも言いくるめられて気がつけば抱かれてる。

 それが、ぜんぜん嫌じゃない。
 嫌じゃないが、悔しい。
 たまには俺だって、彼に勝ってみたい。

 そんなことを考え続けていたある日、俺はアーミに弱点があることを知った。

 「ホラー」だ。

 アーミは──これは誰にも内緒だが──最弱レベルの怖がりだったのだ。
 オバケがめちゃくちゃ嫌いだし、ちょっとでも怖い話を聞いたりすると、夜中に一人でトイレに行けない。冗談ではなく、本当に、行けない。
 一度、夜中に彼に揺り起こされ、唐突に「一緒に来い」と言われた。意味がわからず聞き返しても、返事がいっこうに要領をえない。冗談で「まさかオバケが怖いからトイレ一緒に行けってこと?」と言ったら、彼は唐突に「だったら何だってんだ!」と叫んだ。そのまま呆気に取られる俺を、ブチ切れながら涙目でトイレの前まで引きずっていった彼の背中は、一生忘れられそうにない。

 ただ、解せないのが、ホラーそのものは嫌いじゃないらしいということだ。というか、怖いくせに好きらしい。怖いもの見たさと言うのだろうか。

 たとえば、ホラー映画。
 一人では観られないから、いつも俺を呼ぶ。めちゃくちゃ偉そうに「レン、今日はこれを観るぞ」と呼びつけ、テレビとアーミの間に俺を設置して、「お前、絶対そこから動くなよ」と命令し、背後から抱きついてくる。
 この状態で、ようやく鑑賞可能になるらしい。
 怖いシーンになると俺の背中に顔をうずめているのを俺は知っているが、本人はそれを絶対に認めようとしない。(肩甲骨のあいだにアーミのおでこが埋まる感覚は、なんだかんだ言って幸せだ。「もう怖いシーン終わったよ」と教えてあげると、無言でおでこが離れていく気配がする。背中がちょっとだけ寒くなる。俺は、次の絶叫シーンを心待ちにする。)
 ただ、映画は一度観てしまえば終わりだ。二回目からはどんなシーンがどう来るかわかっているせいか、俺は用済みになるようだ。
 実際、一人でDVDを一時停止させながら、「ここのライティングすげえな」とかブツブツ言ってる彼を何度も見ている。
 不可解だが、一回観てしまえば大丈夫になるらしい。

 だが。
 世の中には、ホラーゲームというものもある。
 ゲームなら、どんなに予習しようとしても、リアルタイムに襲われるから予測不可能だ。
 アーミもそれがわかっているから、ホラーゲームは自分ではプレイしない。俺がやるのを、やっぱり俺の背中に隠れて見ているだけだった。
 最近までは。

 ある日、何気なくいつものようにゲームを遊ぶ俺を眺める背後の彼に、「やる?」と聞いた。
 勿論答えはノー。
「怖いんでしょ、ほんとかわいいよね、そういうとこ」
 この軽口が彼のプライドにヒビを入れたらしい。
「ホラゲーくらい、俺だってやれる」
 ぶすっとした顔で彼はそう言った。
 言ってしまった。
 俺のなかの悪魔が笑った。
「言ったね?じゃあ、どうぞ 」

 それからが大変だった。画面を直視しなければ、ゲームはできない。つまり映画鑑賞スタイルは通用しない。どういう体勢なら彼でもできるのか模索するのに、小一時間かかった。
 けっきょく、映画のときとは正反対に、俺がアーミの背中にべったり抱きつく形に落ち着いた。俺の広げた両足のあいだにアーミがすっぽりと収まる姿は、最高にかわいい。恋人バカとでもなんとでも呼ぶがいい。かわいいもんはかわいい。
 しかも、怖いと彼の呼吸が荒くなる。
 肩越しに顔を覗き込めば、涙目になって口を半開きにした彼の顔が拝める。
 距離が近いうえにアーミはゲームに集中してるから、匂いだって嗅ぎたい放題だ。
 多少俺がムラムラする難点はあれど、そこさえ注意していれば、パラダイスだった。

 俺はそのとき初めて、アーミに勝った、と思った。

 ここで満足しておけば良かったのかもしれない。
 しかし、人とは強欲なものだ。
 俺は、アーミのもう一つの弱点を悪魔合体させてみたいという誘惑に勝てなかった。

 アーミのもう一つの弱点。
 それは、「勝負を挑まれると受けずにはいられない」。
 俺は、ホラーゲームを遊べることをギリギリで証明してみせた彼を称賛したのち、こう言ってみた。
「でも、怖がりすぎて時間かかりすぎじゃない?」

 かくして新たな勝負が始まった。
 俺のクリアタイムより早く、アーミがクリアできるかどうか。彼には勝ち目のない戦いだった。
 しかし、彼はその戦いを受け──破れた。
 またもや、俺はアーミに勝ったのだった。

 そのときの俺は、ただひたすらアーミに勝つことだけを考えていた。だから、その先にあるものをまったく予想できなかったのは、ある意味当然のことだろう。
 俺に負けるのが彼は相当に悔しいらしい。そのせいで、その……後でベッドでめちゃくちゃにされたのだ。普段の倍、いや五倍くらい意地悪された。
 あれは、なんというか──最高だった。

 俺は味をしめてしまった。
 だって、良い事しかないんだもん。
 鼻水を垂らしながら泣き叫んでいるアーミは、申し訳ないけど、すごくかわいい。そんなかわいい恋人が思う存分堪能できる上に、仕返しですら俺の悦びになる。
 一人勝ちだ。黄金のハメ技、永遠の勝ち確だ。

 俺は、禁断の悦楽を見出だしてしまったのだった。

 その頃、折も良く(悪く)、とあるタイトルがリリースされた。
 『RESIDENT EVIL VII』。
 シリーズ最高傑作と言われる初代への原点回帰を謳った、人気ホラーゲームの最新作。
 しかもVR対応。
 これ以上ないタイミングでのリリースだった。

 俺は、いつものように彼に勝負を持ちかけた。
 HMDを外さずに、1ステージクリアできるか、と。

 そして、冒頭の結果だったわけだ。

「約束は約束だよ。ほら、これ着て」
 今回は罰ゲーム付だ。
 負けたほうが、用意された恥ずかしい格好をする。
 あまりの屈辱にぶるぶると身を震わせながらも、アーミは渋々俺の渡した服を受け取り、虚ろな瞳で着替え始めた。
 約束を違えることは、プライドが許さないらしい。そういうところは信用できて、良い男だなとしみじみ惚れ直す。
「……着た」
 恐ろしく低い声で、アーミが俺を呼んだ。
 ドSの美形彼氏が、Xウィング柄の青パジャマ(成人男性用)を着て、恨めしげな顔で俺を見ていた。
「せめてTIEファイターが良かった……」
 暗い顔をして、ブツブツ呟いている。
 めちゃくちゃかわいい。
「うわ、待って待って、写真撮るから」
 俺は慌ててスマホを探す。
「あったー!ねえアーミ、折角だから──」
 ライトセーバーのレプリカも持とうよ、と言いながら顔をあげたときには、アーミの姿は居間から消えていた。
 寝室の方からドアがバタリと閉まる音がする。
 続けて、鍵を掛ける音。

 ──鍵?

 嫌な予感がした。
「あっ、ちょっと、アーミ?えっ?」
 慌てて寝室の前まで走る。
 ドアが閉まっている。
 ノブをがちゃがちゃ回すと、やっぱりというか当然というか、鍵が掛かっていた。
「あの……ハックス先生?開けて?」
「うるさい、黙れ」
 地獄の底から響くような低い声が、ドアの向こうから唸った。
「レン、お前。俺がキレて自分のこと虐めてくれるかもって期待してただろ」
 背筋が凍った。思わずヒエエという声が漏れる。
 ──バレてた!
「……あ、いや……」
「…………」
「……その……アーミ?」
「…………」
「…………アーミテイジさん……」
 返事はない。まったくない。
 そのまま数分間、無言が続く。
 ヤバい。
 意を決して俺は語り掛ける。
「あのさ、聞いてほしいんだけど」
「………」
「幽霊、怖くないの?」
「………」
「一人で寝てたら、出るかもよ?」
「そ、その手には乗らんぞ」
「嘘じゃないよ、ふと目を覚ましたら、枕元にサマラが……」
 謝れば良いものを、なぜか俺は必死に幽霊の恐ろしさを熱弁していた。

 15分ほど粘ったが、無論、アーミが扉を開けてくれるはずもなかった。

 がっくりと肩を落としながら、俺は居間に戻る。
 今夜はソファで寝るしかない。
 しんと静まりかえった暗い部屋に寝転がる。
 さっきまではしゃいでいた反動か、ものすごく落ち込んできた。
 ──なんか、悪いことしたな……。
 ──アーミは本気でオバケ嫌いなのに。
 ──怖かっただろうな……。
 ──なのに、俺は、俺は自分の欲望のために……。
 どんどん自己嫌悪に陥ってくる。
「うう……調子、乗りすぎた……ごめんなさい、アーミ……」
 思わず暗闇のなかで独り言をつぶやいた、その瞬間。
「許さん」
 耳許で、うらめしげな声が聞こえた。
 俺は悲鳴をあげた。
 女子のように甲高い叫び声だった。
 叫びながら、よくよく目を凝らす。
 髪の毛がボサボサになったアーミが、枕を抱えて俺の傍に立っていた。
「アアアアアア………アー………ミ……?」
 よくよく見れば、ブランケットも引きずっている。ライナスかよ。かわいいかよ。
 さっきまでの反省も束の間、あっさりかわいいに負ける俺がいた。
 ていうか、まさか。
 ソファに横たわる俺の上に、アーミがどすんと乗っかる。容赦も気遣いも微塵もない動きに、グエ、とアヒルのような声が出た。
「何……どしたの」
「うるさい、お前は今夜は俺のマットレスだ」
「ちょっ、まさか俺の上で寝る気?!」
「俺はスリムだから重くないだろ、この肉布団。ていうかマットが喋るな」
 ブチ切れた口調で捲し立てながら、アーミは本当に俺の上に横たわると、胸を枕のようにして頭を預け、身を丸めた。本気で寝る気だ。

 つ、つまり。
 やっぱり。

 ──独りじゃ寝られなかったんだ……!

 どんだけオバケ嫌いなんだ、このオッサン。
 今すぐ全世界に向けて俺の彼氏を自慢したい。
 そう願った途端、俺の下半身が賛成の意を表明した。ぎゃっと叫んでアーミが飛び退く。
「おま、ふざけんな!」
「すみません違うんです」
「何がだ!ぜんぜん反省してねえじゃねえか!これ以上ちんこ勃ててみろ、へし折るからな!」
「ごごごごめんなさい!ごめんなさい!モソモソ動かないで!無理!」
「布団が喋るなっつったろ!この!」
「痛い痛い痛い無理ホント折れちゃう許して」
「誰が許すか肉ゴリラ!脳筋!使うアテなんかないんだから折っても誰も困らねえだろ!」
「俺が!俺が困ります!前でイくのも好きなんです!お願いします!」
「何どさくさに紛れてお願いしてんだエロ猿、お前なんか当分お預けだ性欲魔神!!!」
「と、当分て………ど、どのくらい……」
「三ヶ月」
 残酷な即答に、反射的にアーミの目を見てぞっとする。
 ほ、本気だ──!

「死んでしまいます!!!」
「そりゃあいい、死ね!!!!!!!」

 どうせ、このあと滅茶苦茶セックスしたんだろって思うだろ?
 そうだったらどれだけ良かったか。
 現実は、ときとして激しく残酷だ。

 そう。

 俺は、本当に三ヶ月、お預けをくらった。

 教訓。「惚れた相手には逆らうな」
 ──特にドSの天才には。

 現場からは以上だ。
 レン、アウト。

(了)


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