彼の彼

「このスマホ、誰の?」
営業時間終了後の狭い店内を片付け終わり、最終チェックをしていたレイは、カウンターに置き去りにされたスマートフォンを手に取った。ほぼ無意識のうちに電源を入れると、やに下がった笑顔を浮かべたレン──この店での呼び名はベン。レイの頼りない歳上の同僚だ──と、眉間にヒビの入ったしかめ面のイケメンの写真が画面に浮かび上がった。
二人の男は手書きのハートマークで囲われ、なにやらキラキラしたエフェクトやかわいいスタンプがこれでもかとまぶしてある。
──うわっ趣味悪っ!
「あ、やば、見ちゃった」とか「ベンの彼氏ってこんな顔してたんだ」とかよりも先に、そんな言葉が飛び出るほどにはコテコテの乙女仕様な装飾に、レイが内心でドン引きしたのとほぼ同時に、店の厨房から血相を変えて飛び込んできた男がいた。
「レイ!この辺でスマホ見なかったか?!」
誰あろう趣味の悪い張本人、レンだ。
「はい、これでしょ」
どうぞ、と返すと、レンは心底ほっとしたような顔を見せて礼を言った。
「ありがとう。忘れて帰るところだった」
レンの手に引き取られて行くスマホを見ながら、しかしレイの心には何かが引っ掛かる。
──あの顔、どこかで見たような……。
「ねえ、ちょっと待って、ベン」
呼び止められて振り向いたレンの手から、悪いと思いつつスマホをひったくる。
「ごめん、もっかい見せて」
「あ、おい」
「ああっ、やっぱりこの人!」
レイは大きな声をあげた。
レンの自撮りに巻き込まれた、仏頂面の彼氏。
間違いない。
あの男だ。

数ヶ月前のこと。
偶々シフトよりだいぶ早い時刻に店に着いたレイは、いつものように裏口に回った。
「──これでもまだ、言い逃れなさいますか」
「いや、それは、その」
言い争うような声がして、思わず物陰に身を隠す。
店の裏口には、二人の人影があった。一人はレイの雇い主であるオーナー。そしてもう一人、ドアを背にしたオーナーと向かい合うようにしてこちらに背を向けているのは、見覚えのない赤毛の白人男性だった。
スラリと背が高く、皺ひとつないスーツにぴかぴかの靴、ごつめの腕時計。どれもさりげないが、とんでもなく高価なしろものばかりだ。オールバックにした赤毛はひとすじの乱れもなく、顔立ちも整っている。
場末の小汚ない|中華料理店《 こ ん な 店 》に用があるタイプには、とても見えない。
「──つまり、立派な犯罪です。ご理解いただけましたか」
彼の声は冷たく、問いかけの形をとってはいるがどう考えても高圧的な命令口調だ。青とも緑ともつかない特徴的な色の瞳が、はるかに身長の低いオーナーのハゲ頭を無感情に睥猊していた。
「ご、誤解ですよ旦那、俺は別にちょろまかしてなんか──」
「とにかく!」
もぞもぞと言い訳するオーナーを、赤毛はぴしゃりと一喝する。
「以後同様のことがあれば、此方としても考えがあります。よろしいですね」
「考え、って」
「出るとこ出ましょうか、ってことです。そのときは」
全力で行かせて貰いますよ。
そう凄む赤毛は、あんな目で睨まれるのは御免蒙りたい、と心底思わされるきつい一瞥をくれる。オーナーはたちまち震え上がり、ヒエエと情けない悲鳴をあげた。
「勘弁してくださいよ旦那ァ!裁判なんてそんな」
「だったら!」
赤毛の語気がわずかばかり強くなっただけで、オーナーがヒッと首を竦める。
「もう少し従業員を大切になさることですね」
──け、経済マフィアだ……!
特に暴言を吐くわけでもなく、暴力的な行動を取るわけでもない。むしろ知的で洗練されたエリートの印象すら残す。にも関わらず、あの気迫。あの脅し。
きっと、これが噂に聞く経済マフィアというやつに違いない。
レイは内心で大興奮した。
──あ、でも、マフィアって従業員の給料未払いまで叱ってくれるものなの?良い人なんじゃ……?
「私は常にチェックしていますからね。そのことをどうぞお忘れなく。では、失敬」
ああでもない、こうでもないと考え込み始めたレイをよそに、赤毛のマフィアはオーナーをもう一度きつく睨み付け、颯爽と立ち去っていった。
残されたオーナーがへなへなとその場にへたりこむ。しばらく放心したのち、彼は悄然と肩を落として店内に消えていった。

いまレンがにやけながら見せている仏頂面の男は、たしかにあのときの「経済マフィア」だ。
──ん?てことは……?
「レイ、知ってるのか?」
怪訝そうな顔をしたレンを見て、レイはハッとする。理由はわからないけど、これは黙っていたほうがいいんじゃないか。咄嗟にそう判断し、慌てて首を振ってみせた。
「あ!いや、ごめん。勘違い。たんに赤毛の人ってだけで──」
「ええっ、何だそれ!」
あからさまに不服げな声をあげるレンの意外な反応に、今度はレイが戸惑う。
「え?何だそれって、何が?」
「だって、アーミ……ハックスは、そんじょそこらの赤毛とはわけが違うぞ?」
「……はい?」
“そんじょそこらの赤毛”。
なに、それ。
突っ込みを入れる前に、レンは猛然と抗議し始めた。
「びっくりするくらい美形なんだ。一目見たら絶対忘れられないくらい。ほら」
ほら、と言いながら、スマホを突き付けてくる。
「赤毛だからってだけで、いっしょくたにされるわけない。似てるって思ったら、それは間違いなくアーミ、ハックスだ」
いちいち言い直すくらいならアーミでいいっつうの。
内心で毒づくレイの気持ちなどおかまいなしに、レンはおもむろにスマホのアルバムを起動し、次々とレイの前に展開しはじめた。
たしかに、その写真に写っている男は美形だ。スタイルも良い。だからこそレイも覚えていたわけで、そこは間違いないのだけれど。
──いつまで見せる気なの……。
数枚見せて終わりにするのかと思いきや、レンは一向に写真を見せる手を止めない。延々と繰り出され続け、いまや彼女の目の前でスライドショー状態になっているアルバムの名前が「?honey?」であることに気付いたレイは白目を剥いた。
しかも。
はじめのうちこそアルバムに収まっていたのはほんわかしたカップルの姿(とは言ってもマフィアの顔はほぼ仏頂面だったが)だったのだが、やがてそれがマフィア単体になり、さらにはゲームに集中している横顔や、通勤中の後ろ姿、果ては寝顔と、段々と雲行きが怪しくなってきていた。
──これとか、完全に盗撮だと思うんだけど……。
昼休み中に同僚と思われる人たちと談笑するマフィアの姿を捉えた一枚を見て、レイは不安になる。
「ね、ねえ、ベン。これ、本当に……」
彼氏さん、なの?
まさか、ストーカーとかしてないよね?
言葉を探して言い淀むうち、何を勘違いしたのかレンははにかんだ笑顔を浮かべた。
「かっこいいだろ?」
──そこじゃねえよ!
怒鳴りそうになるのを我慢して、レイはひきつった笑顔を作る。
「う、うん、そうだね。あの、じゃなくてね、このアルバム、その、人に見せて大丈夫なやつ……?」
あなたへの信頼的に、という言葉はかろうじて飲み込んだ。
「えっ?!な、なんか変なの写ってたか?!」
慌ててスマホを手元に戻したレンが、あわあわとカメラロールをいじる。
「……なんだよ、からかうなよ。一瞬ひやっとしただろ」
──ああああ!い、いまなんか肌色のアルバム見えた!
苦笑するレンの横で、レイはほとんど泡を吹かんばかりだった。
彼氏というのはどうやら本当らしいが、だが。
「やっぱり私の見間違いだと思う。こんなかっこいい人だったら、さすがに私も覚えてるもん」
ひきつり笑いを浮かべるレイに、レンは「なんだ、そうか」と少し残念そうな顔をした。
「変なこと言って、ていうか、スマホ勝手に見ちゃってごめんね」
「いや、忘れた俺が悪いんだ。見つけてくれて助かった。ありがとう」
「いいの。──お疲れさま」
「ああ、お疲れさま。気をつけて帰れよ」
「ベンもね。おやすみ」
かっこいい彼氏さんによろしくね、と付け加えると、レンは歳に似合わぬ満面の笑顔を見せた。

──そっか、マフィアじゃなかったのか。
店から帰る道で、レイは思い出した。
そう言えば、ときどきあのごうつくばりのオーナーは給料誤魔化すことがあるから注意しろ、と店に入ったばかりの頃に教えてくれた先輩がいた。
レイ自身はしっかりしているせいか、そういう目に遭ったことはない。が、お人好しなレンはたまに被害を被っていたようだった。それでも、レン自身がオーナーに食ってかかったのをレイは見たことがない。泣き寝入りをしているのかと少し心配していたのだが。
──彼氏さん、意外と過保護なのかもな。
レンのカメラロールに大量に保存されていた、しかめっ面を思い出し、思わずふふっと笑いが漏れた。
──ツンデレってやつか。
「バカップル、だね」
なんかいいもん見せてもらっちゃったな。ベンのノロケは正直ウザいんだけど、まあ、いっか。
心地よい疲れに身を委ねながら、その夜、レイは妙に爽やかな気持ちで帰途についたという。

(了)


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