切り刻まれ食べられたミスター・フライド・アイスの悲劇

 久々にしたたかに飲んで、飲んで、飲みまくって、締めにレンが選んだのはSFバーとかいうコンセプト・ダイニングだった。
 このオタクめ、と笑ったが、壁に飾られたポスターやプロップ・レプリカの出所が大体わかる俺もまあ、同類か。適当なカクテルとつまみを頼んで、店内に設置された大型ディスプレイに写し出される映像を見ているだけでも、そこそこに楽しい。
 あの映画はああだ、この映画はどうだととりとめもない会話をだらだら続けていたら、店員がやって来てフードのラスト・オーダーだと告げた。
「じゃあ俺、フライド・アイス」
「ダース・ベイダーのカクテルください」
 二人同時に注文し、互いに互いをぎょっとしたように見遣った。
「あんた、まだ食うのか。さっきの店でも『締めだ』ってショートケーキとチーズタルト食ってたのに。信じられない」
 そういうレンは、まるで胸から生えたチェストバスターでも見るような目つきで俺を見ている。失礼なやつだ。
「お前こそ、さっきからベイダー卿しか飲んでないだろ。怖いわ」
 俺たちの会話に戸惑っていた店員は、やがて機械的に注文を繰り返し、大急ぎで退散した。
「ベイダー卿以外のカクテルを飲むなんて、俺の教義に反する。ついでに俺はまだラーメンを諦めてないからな、このあと近くに──」
「やかましい、糖尿で死ね。だいたいなんだ、その宗教。新興にもほどがあるだろ。テロ起こすなよ、逮捕されたら他人のフリするぞ」
「どう考えても糖尿になるのあんただろ。食事制限で泣いてるあんたの介護しながら、俺は肉食ってやるからな。そのときに後悔しても知らないぞ」
「肉? は、興味ないな。俺はアイスがあればそれで良い。──いいか、レン。アイスはこの世の最上位に位置する至高の存在だ。敬意を払え」
「怪しい宗教はどっちだよ……」
 もはや互いに何を言っているのかも判らないまま、それでもやけに楽しいのは、酒のせいだろうか。それとも、いま目の前にいる──
「お待たせしました、フライド・アイスです」
 ふわふわと浮遊する思考を断ち切るように、至高の存在が運ばれてきて、その瞬間に俺の頭はアイスでいっぱいになった。
 どうせフランベされただけのアイスクリームが出てくるのだろうとたかをくくっていたが、供されたのはなかなかどうして凝った趣向のデザートだ。クリーム色のトゲトゲした分厚い衣(ころも)のうえにはナッツがふんだんにまぶされ、下には美しいカラメル色のソースが敷かれている。
「いただきます」
 さっそく気合いをいれて衣を突き破ると、とろりとバニラアイスが中から溶け出してきた。ソースとともにすくいあげてひとくち、口に運ぶ。
「!」
 カラメルじゃない。ストロベリーだ。
 煎ったナッツの香ばしさ、あつあつの衣、舌にひやりと冷たく甘いバニラアイス、すっぱいストロベリーソース。
「うまい……!」
 感激して、ふた口、三口と続けざまに味わう。
 むかいにいるレンが、呆れ半分、怯え半分の視線を送ってくるのがわかった。
「レンも食う?」
 幸福に酔いしれてしぜんと顔面がほころぶままに問いかけると、黒いアルコールに突き刺さった赤いストローを噛みつぶしていた彼は力なく首を横に振った。
「いや。あんたが食え。その方がアイスも幸せだろ」
「お前、いいこと言うな……」
 レンにしては冴えたことを言う。彼の眉が八の字に下がっているのがバカにされてるみたいで少し気にくわないが、まあいい。
 俺は再びデザートに没頭した。
 のだが。
 揚げアイスという物珍しさも手伝って、半分までは楽に食べられた。
 しかし、段々とそのくどさで胸焼けがしてきた。
 だいたい、衣が邪魔だ。アイスだけでいい。俺はアイスが食べたいんだ。ていうか、こんな爽やかなストロベリーソースが掛かってるのに、なんで衣、揚げ物のお前がいるんだ。爽やか感が台無しだろうが。
酔いも手伝って、理不尽な怒りが沸き上がる。
 そもそも、こてこてのナッツ類も要らん。冷たくて甘いしあわせのアイスクリーム、お前さえいればいい。それなのに……。
 ──もういいや、アイスだけ食お。
 お行儀悪いかな、という考えがちらと頭の片隅をよぎらないこともなかったが、欲望に素直をモットーとしている俺の「教義に反する」ので無視した。
 邪魔くさい衣を剥いで中のアイスクリームだけを救出し、こころゆくまで味わった。
 イチゴ。
 そしてバニラアイス。
 ああ、世界は美しい。
 食べたいところだけを平らげ、すっかり満足したところでスプーンを置く。
 と、皿の中から、とり残されてみじめにひしゃげた揚げ衣が、恨みがましくこちらをじっと見つめていた。
 急に罪悪感がこみあげる。
 ──なんだお前、そんな目で見るな!
 しかし、衣の恨み節は止まらない。
 ──せっかく揚げアイスとして生を受けたというのに、お前は俺から存在価値(レーゾンデートル)を奪った。なんて悪逆非道な奴だ。スイーツを愛する者として、恥ずかしくないのか。
 ──す、すまん。……でも正直、お前ちょっと奇を衒いすぎてアイスとしての矜持を忘れてないか?
 ──な、なにを言う、無礼者め!
「おい」
 揚げアイスとの対話に夢中になっていると、レンが心配そうに声をかけてきた。
「ハックス! 誰と話してるんだ?」
「……え? いや、だって揚げ衣が、俺を悪逆非道とまで言うから……」
「し、しっかりしろ! ……飲ませすぎたか、クソ。俺がついていながら……水貰うから、ちょっと待ってろよ」
 慌てたそぶりで店員に手を上げるレンをぼんやり眺める間も、揚げ衣の抗議は続いていた。たしかに、フライド・アイスを注文しておきながら衣は要らんというのは、衣にとっては酷な現実かもしれない。ここは慈悲の心を持つべきなのではないか。何しろ相手はスイーツなのだ。
 だが、かといってもう俺の腹に揚げ物の入る余地はない。ていうか入れたくない。
「ほら、ハックス。水貰ったから。飲め」
「……レン」
「そうだよ、レンだよ。水、水わかるか?」
 そうか、レンか。
 閃いた俺は、おもむろに皿のなかで今やぐずぐずになった衣を一気にスプーンで掬い上げた。プライドを潰されてキャンキャン喚いていた衣が、一瞬期待に胸をときめかせてこちらの様子を伺うのがわかった。
 そうだ。
 お前の使命をまっとうさせてやる。
「レン」
「おい、ハックス。もう食うのはよせ。いいから水を──」
「はい、あーーーん」
 満面の笑みで、衣が載ったスプーンをレンに差し出す。きょとんとした表情を浮かべたのち、レンが凍りついた。その顔がみるみるうちに真っ赤に染まっていく。
 どうしたんだ、こいつ。熱でも出たか?
「な、なにを」
「いやだから。あーーーん、て」
 ヒエッと謎の奇声を発し、レンは小さく後ずさったあと突然ニヤけた。ひくひくと口の端が痙攣している。意味がわからないので気持ち悪いが、こいつは大抵気持ち悪いから仕方ない。そこが可愛いこともたまにあるし。
「きゅ、急にそんな、公衆の面前で」
 何をごちゃごちゃ言ってるんだ、こいつは。早くしないと衣が傷つくだろうが。俺は焦って更にスプーンをぐいとレンに押しつけた。
「なんでだ。嫌なのか?」
「いや、そうじゃないけど……」
 ああ、衣が気づき始めている。す、すまない、衣……違うんだ、俺はスイーツすべてを愛して……ただ、今日はもう……。
「うわーーーっ! 泣くな! 食うから! いただきます!」
 申し訳なくて衣に平謝りしていたら、突如レンが大声を出してぱくりとスプーンに食らいついた。その顔が限界まで真っ赤に染まっているのを見て、俺は少しだけ心配になる。こいつ、飲みすぎなんじゃないか?
「ん、げ、甘い……じゃない、うまい! ありがとう!」
 なぜかちょっと涙ぐんだレンが、ひきつった笑顔を浮かべる。ごつい喉仏がごくんと上下するのを、俺はじっとみつめた。
 さらばだ、衣。こんな食オンチの胃袋にしか送ってやれなくて、すまなかった。
「……ほんとに? おいしい?」
 せめて衣への弔辞にと、レンから言質を取るため俺は重ねて問うた。酔いのせいかもはや首を水平に保っていられず、小首を傾ける格好になってしまったが、奴の口から「おいしい」を聞くまで、諦める訳にはいかない。
「あああ、ハイ! ハイ! それはもう! すごく美味しかったです! ごちそうさま! ……なあ、ハックス、頼むから水飲もう。な?」
 泣きそうな顔をしたレンから差し出されたグラスを受け取り、わけもわからないまま飲み干した。
 ──ミッション・コンプリート。

 いつの間にか会計を済ませていたレンに抱えられるようにして、俺は店を出た。揚げ衣はきっと今、レンの体内で安らかな眠りについているに違いない。
 なんとなく彼の胃のあたりを凝視する。重責を果たした疲れが、今さらのようにどっと押し寄せてきた。だ、だめだ。疲れすぎて……
「……レン、おれ……かえらない……」
「ハイッ?!」
 もはや歩く気力すらなかった。すっとんきょうな声を上げるレンに、もう歩けない、はやく帰って寝たい、といっしょうけんめい訴える。舌が回らないせいでなにか違う言い回しになった気もするが、伝われば良い。
 その証拠にレンは力強く頷くと、急に凛々しい顔つきになってタクシーを止めた。
「どちらまで」
「えと、近くて申し訳ないんですけど……」
 近い?
 俺の家、近かったっけ?
 遠くから聞こえてくるレンの声が妙に浮き足だっているのが不思議だ。
 だが、もうそれもどうでもいい。
 ──スイーツ道とは、死ぬことと見つけたり。
 タクシーに乗り込みながら、不意にそんな言葉が頭に浮かび、一人思わず吹き出す。
 つられるように、隣に座ったレンがやけに嬉しそうに笑った。