いちごの代償

情報を横流ししていた裏切り者の名前が割れた。将軍渾身の作戦が、とうとう実を結んだのだ。
その報が入ってきたのは、午前二時を回ろうかという深夜だった。当然のことながら、作戦の指揮官であるハックス将軍はお休み中だ。
だがきっと、あの方ならすぐにもこの報せを知りたがるだろう。まだ起きていらっしゃるという確信もあった。
しばし躊躇ったのち、私は将軍直通の回線を開いた。

三十分後。
内容が内容なだけに、対面のほうが良いだろうという判断もあり、私は将軍の私室に出向いていた。
「失礼いたします」
ひと声掛け、ドアを開く。
果たして我が上官は、バスローブ姿でソファに腰かけていた。
「こんな格好で、すまんな」
第一声が苦笑まじりなのは、着ているものだけを指してのことではなさそうだった。何故なら将軍は、まるっこいケア・ドロイド──主に美容方面の施術を担当するタイプだ──の腹部に両手を突っ込んでいたからだ。
「手の爪が、妙な形に欠けてしまって」
そういえば、夜には要人との会合があったな、と私は思い出す。新劇場の柿落としとして話題の、新演出オペラを観賞するらしい。会合とは名ばかりの、要するに接待だ。礼装に欠けた爪では格好がつかないと言うのだろう。いかにも完璧主義者らしい将軍の発想に、私も釣られたように微笑した。
「整え直すまで、身動きできない。このまま報告を聞かせてもらうが、構わないか?」
「勿論です」
もう一度すまんな、と謝り、ハックス将軍は促すように私をじっとみた。
私が報告をしているあいだ、数度の的確な質問を挟んだだけで将軍はすぐに全体を把握されたようだった。簡潔な指示をいくつか、今後の方針とともに提示すると、我らが優秀なる指揮官は、口の端を吊り上げてニヤリと笑った。
心から満足したときに見せる獣の顔だ。
少し背筋が寒くなると同時に、心の底から畏怖する気持ちが沸き起こる。
この人の下につけて、私は幸せだ、と。
「──以上、何か質問は?」
「ございません」
「よろしい。では、この話はここまでだ。──ときに、ミタカ」
「は」
さっきまでの鋭い“お仕事モード”とはうってかわって、急に将軍の雰囲気が緩んだ。
「なんでしょう?」
「その……さっきからお前が持っている、それなんだが……」
遠慮がちに、彼は私が脇に携えている銀のポットを指さす。
「ああっ、そうでした!」
指摘されるまで、私自身もすっかり忘れていた。それは、部屋を出るとき、私が将軍に用意したものだった。
「本当は、明日の十時のおやつに用意していたんですが」
夕食もろくに召し上がっていないのが、ずっと気になっていたのだ。
「これならば、お夜食にもなるかな、と思いまして」
「苺か!」
小ぶり銀色の蓋をそっと外すのと、将軍が歓声をあげるのはほぼ同時だった。
ポットの中には、粒のそろった赤い苺たちが、まるで宝石のように盛り付けられている。
「練乳もご用意していますよ、勿論」
そういって、横に添えた小さなミルクピッチャーを持ち上げてみせる。将軍は、こどものように顔をほころばせた。
「あ、でも。この状態じゃ……」
そう言って拘束された自分の両腕を見下ろし、顔を曇らせる。
他の者たちに言わせると、将軍の表情の変化はとてもわかりにくいらしい。私にはそれがよくわからない。慣れてしまえば、眉間の皺の深さは段階別に機嫌の良し悪しを示しているし、一様に青く見えるお顔の色は、よーく見れば赤くなったり青くなったりしているのだが。
「……」
今、将軍は、“どうしよう、困ったな”の顔をされていた。爪の手入れが終わるまで、身動きできない。
「お部屋に置いていきますので、お手入れがお済みになってからでも──」
が、私が言い終わらないうちに、将軍はケア・ドロイドの腹に固定されたご自分の両腕を乱暴にぐいと引っ張っていた。
「%$@!!!?」
むりやり引っ張られたせいで、小ぶりのドロイドはガタリと音を立てて体制を崩し、怒ったようにピポピポと抗議した。
「う、うるさい!いいから放せ!」
「@~@!!$¥%#?!」
「私は今食べたいんだ!」
「*%@∞≧Д≦!!!!」
「ドロイドの分際で生意気を言うな!廃棄処分にするぞ、貴様」
「あ、あの!」
頑として任務を遂行しようとするドロイドと口喧嘩を始める上司を見かね、私は思わず口を出した。
「私が!」
「食べさせてくれるのか?!」
「えっ?あっ、ハイッ!?」
設定を直しましょうか、と言うつもりだったのだが、予想外の言葉に思わず肯定の返事をしてしまう。
「ミタカ……お前は本当に出来た男だな……」
感動したようにうるんだ目を向ける上司を見て、あ、そうじゃなくてと言い掛けた言葉を飲み込む。
──いちご、お好きですもんね。今すぐ、食べたいですよね。
何故だろう。
私は、将軍を心の底から尊敬している。敬愛している。
の、だが。
甘いものをねだる彼を見るときは、どうしても故郷に残してきた弟妹たちを思い出してしまうのだ。
「あの、今、手を洗ってきますので……」
「そんなの良い。ミタカなら信用している」
「そ、そんな!」
「いい、許す」
はやく、いちご!いちご!と目を輝かせる上司が、どうしても幼い日のあの子たちと重なってしまう。
──い、いけない。そんな無礼な気持ちで将軍を見るなど。
ぐらぐらする自分を叱咤し戒めながら、私は苺に手を伸ばした。
「では、失礼して」
「練乳は?」
「……あ、そ、そうでしたね」
はあい、ちょっとまってるんだよぉ、と蕩けそうな声で答えかける自分を、理性の力で無理やりねじ伏せる。
しっかりしろミタカ。いま目の前にいるのは、お前の上官だ。五歳のかわいい妹では、ない。
冷静さを装い、コホンと空咳をする。まっかに熟れた苺にとろりと白い練乳をかけた。手を汚さぬよう、練乳のかかっていない部分をそっとつまみ上げ、今か今かとこちらを見ている将軍の口元まで運ぶ。彼のキラキラした目は、いまや苺に釘付けだ。
ぐぇ、という声が漏れるのをかろうじて抑える。
──し、鎮まれ私の庇護欲………ッ!
「どうぞ」
声を掛けると同時に、ぱく、と彼が私の指先に食らいついた。
「ンー!」
いかにも嬉しそうな笑顔が、冷血漢として鳴らす軍人の顔に広がっていく。
「お、美味しいですか」
「うまい!!」
「よかったねえ……じゃない!よかったです!」
「次!」
「ハイ!」
よほど美味しかったのだろう。将軍は次々と苺を要求し、私はあっという間に、ただの苺与えマシーンと化した。
初めのうちはそれでも、手ずから与えられることに些かの申し訳なさを感じていたらしい将軍だったが、やがてすっかり遠慮を忘れ、次第に大胆に私の指に食らいつくようになっていった。しまいには私の指についた練乳を舐め取っていく始末だ。
迎え舌はお行儀が悪いですよ、と窘めようかとも思うのだが、元々、苺が好きなのか練乳が好きなのか、というくらいには甘いもの大好きな御方なのだから仕方ない。
が。
指に付着したとろとろの白い蜜を、彼の薄桃色の舌が絡みついて舐める。じゅ、という音を立てて、真珠のような歯が苺の果肉をすりつぶす。赤い果汁が薄い唇の端に滲む。唾液がつう、と伝う。それをまた、柔らかな桃色の舌がねろりと舐め取る。
妙に動物じみた動きとは対照的に、熱心に口を動かすその顔には、幼ささえ感じられる無垢な笑顔が宿る。
──これ、なんか絵的にマズい気がする……。
かつて私は、キャプテン・ファズマに「貴公は朴念仁にも程がある。だが、だからこそ将軍に気に入られているのだな」と嘲笑まじりに言われたことがある程に、“そっち方面”には鈍感だ。その私ですら懸念を抱くほど、今の状態は倫理的に問題ありそうな絵面になっていることは、なんとなく理解できた。
──こんな姿、“例のあの人”に見られたら物理的に首が飛ぶな……。
今までにも何度か、私には預かり知らぬ理由でフォース・チョークやフォース・うっちゃりを受け、医務室にはお世話になっている。しかし、「練乳がけ苺を手で与える」という見た目のインパクトは、恐らくはるかその上を行くに違いない。
──今この現場を目撃されるってことは、さすがにあり得ないだろうが。
そんなことをつらつら考えながら、もはやエサを待ちわびる仔ツバメみたいになっている将軍の頭を撫でくり回したい衝動を必死にこらえつつ、私は機械的に苺を与え続けた。
それは、幸せな時間だった。
そう。
私には度を越した幸せだったのだ。分相応な程に。
最初に感じたのは、地響きだった。
それも将軍の自室の外からではなく、奥からやってくる。
一体どこから──。
不思議に思う間もなく、部屋奥の扉──寝室に続いている──が、文字どおり“吹っ飛んだ”。
続いて、地獄の底から響いてくるかのような、低い低い唸り声。
「……いう……ことだ………」
「お、おい、お前、いつの間に起き──」
余りの唐突な展開に言葉を失う私と、なぜか慌てふためく将軍。
吹っ飛んだドアの向こうから、もうもうと沸き起こる埃。
その中からゆらり、とひとつの影が立ち上がる。
影は、激情に声を震わせて絶叫した。
「どういうことだって聞いてんだよ、ハックス!!」
「待て!誤解だ!」
「かっ……カイロ・レン?!」
──なんでここに!
怒りにまかせてドアを吹き飛ばし、寝室から登場したのは、半裸──というか、これパンイチというやつでは?!──のカイロ・レンだったのだ。
彼は全身に殺気を漲らせて吼え猛る。
「殺す!!!!!!」
「レン、やめろ!落ち着け!」
なんだかわからない衝撃波のようなものが私目掛けて飛んできた。間一髪で将軍が投げたケア・ドロイドに当たる。ドロイドは、哀れな声を上げてまっぷたつに裂け、床に乾いた音を立てて転がった。
恐怖のあまりへたり込んだ私を庇うように、将軍がカイロ・レンの前に立ちはだかる。
「な、なんでミタカを庇う!?やっぱり、あんたら──」
「バカなこと言うんじゃない!ミタカは、ミタカだけは違う!」
「退け!殺す!」
「やめろ、彼を傷つけるな!」
「うわあああああああ死ねえええええええええ」

まったくもって情けないことに、そこから先の記憶がない。気絶したのだ。死ぬ、と思ったのもあるし、カイロ・レンが将軍の寝室から現れた理由にそのときようやく思い至ったからでもある。そういう関係なのは知っていたが、こう、実際に目にすると、なんというか……。妹がお嫁に行くと聞いても、こんな気持ちになるのかな……。
と、とにかく。
次に私が気がついたときは、私は医務室のベッドにいた。医師が苦虫を噛み潰したような顔で渡してきたメモには、将軍の直筆で「しばらく艦を離れた方がいい。一ヶ月ほど里帰りしろ。こんなことになって、本当にすまない。お前がいないとつらい」と書かれていた。よほど焦っていたのだろう、いつもは端正な文字が所々歪んでいた。

そういうわけで今、私は十数年ぶりに故郷の星に帰る船に乗っている。
急転直下の展開ではあるが、正直なところ里帰りできることは素直にうれしい。
一ヶ月も将軍のお側を離れるのはとても不安だが、毎日連絡を下さると手紙にも書いてあった。
将軍御自ら用意して下さった(「他人にやらせたらレンの魔の手が迫る可能性がある」とは将軍の言だ)無人艦は、今のところとても快適だ。
ただ、寝る頃になるとダクトから謎の音が聞こえてくるのだけが気がかりだ。不具合などが出ない内に、点検したほうがいいのかもしれない。今も、ズルズルという、なにか這いずるような音が

※手記はここで途切れている



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