船、罪、王様。そして、パレード

ふたたび、エネルギー砲被弾。
立っていられない程の衝撃。大きく船が揺れ、耳をつんざく警報がヒステリックに鳴り響く。船のあちこちから沸き起こる、怒号、悲鳴。
壁のパネル裏からバチバチと火花が散り、焦げたような匂いやオゾン臭があたりに立ち込める。
突然、視界がまっくらになり、次の瞬間、赤い照明が点灯した。
──電気系統がイカれたな。
先ほどの被弾は、船の心臓部を直撃したのだろう。逃げ切ることを最優先に考慮した小型船だ、あんな攻撃をまともに食らえばひとたまりもない。
「将軍!この船はもう駄目です!すぐに緊急脱出ポッドを──」
足を引き摺りながら部屋に駆け込んできた士官を見遣り、ハックスは素っ気なく告げた。
「お前達は行け。私はいい」
「何をおっしゃっているんです!貴方を」
「時間がないんだろう。無駄な問答をする気はない。早く行け」
「し、しかし──」
「私は、この船の最後を見届ける義務がある。そう言えば納得するか?」
呆気に取られる士官は、しかしハッとして彼が翻意する気がないことを悟ると、唇を噛み締めた。姿勢を正す。
「将軍。貴方の元で戦えたこと、光栄でした。……銀河に、秩序あれ」
ファースト・オーダーの敬礼。
銀河の憎悪の対象。
ハックスも敬礼を返す。
「銀河に秩序あれ。世話になったな」
思いがけないハックスの言葉に、士官はつい嗚咽を漏らす。兵帽を目深に被り直すと、彼は踵を返し、そして振り向かずに走り去った。
脱出ポッドに急ぐ者達の声が遠くで聞こえ、やがてそれも静かになる。
船内は、故障した計器たちの散らす火花や、あちこちで燻り続ける火災の警報を除き、完全に静かになった。

そして、ハックスは一人になった。

──ようやくか。
大きくため息をつき、床に座り込む。もはや立ち続けることが困難なほどに、船の揺れは酷くなっていた。
──誰に見られることもない。気楽なもんだ。
やけにリラックスした心持ちで懐に手を伸ばすと、煙草を一本取りだし、口にくわえる。
──そういえば、この制服のまま吸うのは初めてかもしれんな。
そして、はたと火がないことに気づき、舌打ちする。
──クソ、絵に描いたような間抜けさだ。
己の迂闊さを呪い天を仰いだとき、背後で声が聞こえた。

「まさか火がないのか?」

「……ずいぶんとベタな登場の仕方だな」
決して振り向かずに答える。
「どうやって戻った」
「俺の操縦スキルを甘く見積もりすぎだ」
「……私が既に逃げたとは、考えなかったのか?」
「まあ、普通に考えればそうだな。今までの経験から言っても、“将軍”は真っ先に逃げ出す」
「じゃあ、何故」
思わず怒りに任せて背後に向き直ると、予想していたより遥か近く、カイロ・レンの姿があった。
「それは帝国が存続する算段がつけば、の話だ」
レンは眉間に皺を寄せ、はっきりと怒りを顔に浮かべてハックスを見つめていた。
脇腹を押さえ、壁に掴まり立ちしている彼の姿に、ハックスは何故か、今までにない懐かしさを覚えた。
「──負けが決まった今、あんたはオーダーと心中する道を選ぶ」
「生き延びて晒し者にされるのは御免だ」
「勝手抜かすな。あんたには責任がある」
「知ったことか!叛乱軍の慰み者になるくらいなら、舌を噛みきってこの場で──」
「ふざけるな!」
レンがハックスの胸ぐらに掴み掛かり、二人はしばらく睨み合う。
やがて、レンは手を緩めると、ハックスの脇に肩を入れ、立ち上がろうとし始めた。
「何をする!」
「ここから逃げるんだ!」
「やめろ、置いて行け!」
「嫌だ!……クソ、抵抗するな、ハックス!」
「やめろレン、無理だ」
「何が無理なもんか。あんたは、俺と」
「そうじゃない!無理なんだ!!」
思いがけないハックスの感情的な怒鳴り声に気圧されたレンは、やがてハッとしたように身を引いた。
暗がりに紛れたハックスの右足は、大きな支柱に挟まれていた。支柱はそのまま、船の天井にがっちりと飲み込まれている。とても動かせそうにないことを悟り、レンは動揺する。
「こ、こんなもの、フォースで……」
「レン」
「大丈夫だ、すぐに」
「レン」
「俺が……クソ、俺がこんなもの……」
「レン!」
顔を真っ赤にして支柱に集中しようとするレンに、ハックスの耐えかねたように一喝が飛ぶ。
レンはへなへなと床にへたりこみ、ハックスの頭を抱き抱えた。
そんなレンを、ハックスはそっと押しやって言う。
「お前も、もう限界なんだろう」
「……」
「出血、酷いな。見えないと思っているだろうがな、俺だってバカじゃないんだぞ」
「ハックス──」
「お前にフォースを使えるような余力は、ない」
「そんなこと……」
「いいんだ。聞け。だが、ここから逃げるだけならチャンスはある。乗ってきた船があるんだろう。それに乗って、行け。──あの女を救え」
弾かれたようにレンがハックスを見る。
ハックスは、まっすぐにレンを見据えていた。
「ファースト・オーダーに反旗を翻せ。逆徒になれ。そして私に花を持たせろ」
「……何言ってるんだよ、あんた……」
気でも狂ったのかよ、と泣きべそをかくレンの頭を、あやすようにハックスが撫でる。
「お前がファースト・オーダーの裏切り者としての汚名を着てくれれば、私の死は裏切り者を追い、艦と共に沈んだ名誉の戦死になる。少なくともファースト・オーダー側から見ればな。私の面子も立つってもんだ」
ふ、と笑ってみせるハックスに、レンが泣き声をあげた。
「馬鹿な冗談を言ってる場合か!」
「いいや、本気だ。お前には、まだ選べる道がある。今からでも遅くない。行きたい場所へ、行け。自分の力で。自分の意志で」
「こんなときに説教するな!」
「説教じゃない。ただの願いだ」
レンの頬を伝う大粒の涙を己の指で拭ってやりながら、ハックスはそっとその頬を両の掌で包み込んだ。彼の顔を自分に向けさせ、ゆっくりと言った。
「レン。頼む」
レンの目から、さらにとめどなく涙が溢れる。もはや嗚咽を隠すこともせず、彼はか細い声を上げて泣き始めた。
「……こんなの、酷いだろう……」
「俺たちはもっと酷いことをしてきた。当然の結末だ」
「嫌だ、ハックス……」
「レン」
「頼むから……」
すがりつくようにレンが声を絞り出したとき、船に大きな衝撃が走り、ハックスががくりと身を崩した。
「ハックス!」
慌てて助け起こそうと彼に触れたレンの掌に、べったりと血が付着する。
「そんな……いつから……」
「……すまん。もう、かなり前から、力が入らない……煙草を出すのもやっとだった。情けないな……」
「じゃあ喋るな、馬鹿!」
はは、と力なく笑うハックスを、レンはただ掻き抱く。
──息が弱い。
世界を支える柱が崩壊していくような恐怖を覚え、レンはゾッとする。
今、腕の中で、最愛の人が息絶えようとしている。
そんなことは、あってはならない。
あってはならない。
あってはならない、のに。
ハックスの頬に手を当てると、彼は小さく笑って、その手に自分の手を重ねた。
「レン」
ハックスの声が、急激に弱くなっていく。
「好きだったよ、お前が」
レンは何も言えない。
「お前は、いい子だ」
ただ、何度も何度も首を横に振る。
──ダメだ。
「楽しかった」
ダメだ、ああ、ダメだ、ハックス。
腕の中の呼吸が、もう──

「……じゃあな」

「ハックス」

「ハックス」

ハックス。

「あんたは、フォースなんて役に立たないって笑うけど」
「俺、あんたに起きたつらいことや、悲しいこと、全部消してやりたかった」
「つらいことや悲しいこと以上に美しい世界を、あんたに見せてやりたかった」
「俺は、俺はただ──」

──あんたに、笑っていてほしかったんだ。

レンは、強く願った。心の底から。

***

「ねえ、いつまでバスタオル身体に巻いてるつもり?」
仏頂面でタオルに包まり、ベンチに体育座りしながら眼前に広がる海を見つめる恋人に、レンは声を掛ける。
「うっさいわ。裸体を野外に晒すとか、野蛮人かお前は」
「裸体て。プールには行けるのに、ビーチで水着になれないとか意味わかんないよ……」
夏には少し早い海辺には、彼らのほかに人影はなく、波の音だけが静かに響く。
快晴の空と、波のないあくまでおだやかな海。
やわらかな日射しが白い砂浜に散り、ビーチパラソルは淡い影を落としている。
爽やかな潮風が吹き抜け、自分の黒髪と恋人の赤い髪を揺らしていった。
「俺のお肌は敏感なの!焼けたら真っ赤になっちまうんだよ、お前と違って」
「……本当は俺と並ぶのがイヤなんでしょ?自分はぷにぷにしてるから」
「違う!」
「ぷにぷにもかわいいのに……」
「だから違うって!あとぷにぷにしてない!」
「ハイハイ」
「ハイは一回!」
不意に、遠くからなにかが聞こえた気がして、レンは振り返る。
砂浜のはるかむこうに、何かの行列が見えた。
「……なんだろ」
恋人も怪訝そうな顔で、同じ方角を見ている。
「ちょっと見に行ってみない?」
「あ、おい、待てよ」
彼の静止も聞かず、レンは好奇心に駆られ駆け出した。近づくにつれ、音はジンタであることがわかった。郷愁を誘う、どこか物哀しいメロディ。
「サーカスだ……」
車つきの檻に入ったライオンや虎。きらびやかに飾られたインド象に跨がった象使い。美しい異国の衣装をまとった妖艶な曲芸師。異様に発達した筋肉を誇示する怪力男。移動サーカスの一座が、ゆっくりと通りを練り歩いていく。華やかな紙吹雪とチラシを撒きながら、ピエロがなにか口上を述べている。
「今どき珍しいね、こんな宣伝」
白昼夢のような一団の最後尾、喇叭吹きが、調子はずれなのかそうでないのか、いまいちわからない音を華々しく鳴らしながら歩み去っていくのを、うっとりと見送りながら、レンは横を向き恋人に同意を求めた。
「ねえ、アーミ。……アーミ?」
しかし、そこに彼の姿はない。慌てて振り返り、首を伸ばしてビーチを確認するが、二人ぶんのチェアとパラソルがあるばかりで、誰もいない。
不安になり、レンは恋人の名を大声で呼ばわった。
「アーミテイジ!」
「なんだよ」
「うわっ」
ぬっと横から現れた恋人に、大きく安堵の溜め息をつく。
「……おま、なんだよ……失礼な、奴だな……急に、走り、出して、おいて……」
走ったせいで息を弾ませながら、アーミテイジが抗議する。
「ごめん。いなくなったかと思って……」
「なんだ、寂しくなったのか?」
ニヤリと笑うアーミテイジに、レンは頷く。その素直さに少したじろぎ、アーミテイジはやがて苦笑してレンの頭をポンとたたいた。
「俺はずっと、お前のそばにいるよ。だろ?」
「……うん」
アーミテイジの言葉を聞いた途端、理由もわからず唐突に涙が込み上げそうになり、レンは慌てて目を擦る。
──あれ、どうしたんだろ、俺。
取り繕うように笑う。
「はは、なんか、凄かったね」
「たしかに、サーカスのパレードなんて久しぶりだな。どこまで行くんだろうな」
「ね。すごく綺麗だったな」
まだ遠く、点のように小さく見えるパレードの後ろ姿をぼんやりと見つめるレンをちらりと見、アーミテイジは悪戯っぽく笑った。
「……ついて行ってみるか?」
「ええっ、どこまで行くかわからないよ?」
「あいつらだって歩きだぞ。興行の宣伝なら、この近くでやるんだろうよ」
言うが早いか、アーミテイジはレンの手を取り走り出した。
「うわっ、ちょっと、待って、アーミ!」
「俺たちもパレードに参加だ。ほら急げ!」
手を引かれるまま走りながら、レンは強くアーミテイジの手を握り返す。
「なあ、レン」
アーミテイジが振り向き、レンに言った。
「世界は、美しいな」

そして、幸せそうに笑った。



(了)


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