彼氏きどりかよ。

※注意※
kyluxですが、間接的にネイサン(映画『エクス・マキナ』)×ハックスを匂わせる描写があります。

 最悪だ。
 レンはどん底の気分で、隣の助手席に座るアーミテイジに声を掛ける。
「ねえ、アーミ」
 が、返事はない。
 横目で様子をうかがえば、心ここにあらずといったふうにぼうっと車窓を眺めている。
 今日は、アーミテイジが一週間の海外研修から帰ってくる日だったのに。
 少しでもはやく会いたくて、バイトのシフトを無理いって代わってもらってまで迎えにいった空港で、まさかあんなことになるなんて。
 レンは思い切り頬を膨らませながら、さきほどの空港でのやり取りを思い出していた。

 空港のロビーに現れたアーミテイジを見つけるや否や、レンは彼に走り寄った。
「おかえり!」
「ただいま」
 スーツケースをひきずりながら軽く手をあげる彼に飛びつき、おもいきりハグをする。
「大袈裟なやつだな。たった一週間だろ」
 照れくさそうな言葉を聞き流し、彼の首筋に鼻先を埋める。お馴染みの香水とほのかな体臭を吸い込みながら、思う存分甘えていた、その時だった。
「アーミテイジ? アーミテイジじゃないか!」
 聞いたことのない、ハスキーで甘い声が背後から響き渡った。
 二人が振り返ると同時に、アーミテイジが驚きの声をあげる。
「……ネイサン、か……?」
「驚いたな! こんなところで会うなんて」
 あぜんとする彼に走り寄ってくる一人の男を見たとたん、レンは嫌な予感がした。
 白いTシャツにチノパン、そしてサンダル。筋肉の盛り上がった身体は、いかにもジム通いで鍛えたふうに人工的。一見すれば彫りの深いハンサムな顔立ちだが、顔の中央にくっついた鷲鼻とその上の目つきは鋭く、油断できない雰囲気を醸し出している。
 どう見ても堅気の職業とは思えないその男は、ネイサンと名乗った。めずらしく動揺するアーミテイジを見て、レンは本能的に悟る。
 ──こいつ、アーミの昔の男だ。
 険しい顔をするレンにも気づかず、アーミテイジはネイサンをただ知り合い、とだけレンに紹介した。
「ええと、ネイサン、こっちはレン。俺の──」
「新しいボーイフレンドだな? へえ、なるほど、美人さんだ。どうも、レン」
 そう言いながら、じろじろと頭のてっぺんから爪先までレンを眺め回し、ネイサンが握手の手を差し出す。その手を握りかえし、いさささか不必要に強めに振りながら、レンは自分の笑顔がこわばるのを感じた。
  しかし、ネイサンの無礼な態度に、アーミテイジはただ曖昧に頷いただけだった。
 それで紹介はおしまい。
 その後は、完全に二人の世界。空港を出るまで、ずっと話し込んでいた彼らのあいだに割り込むこともできず、レンはただ黙って後ろに付き従うほかなかった。

  馴れ馴れしげにアーミテイジの肩に手を回し、下手をすれば腰すら抱かんばかりのネイサンの後ろ姿を思い出し、レンは頭に血がのぼる。
 ──そりゃあ、筋肉モリモリで確かにガタイは良いかもしれないけどさ。
 レンはむかむかと内心で毒づく。
 ──チビだし、第一目つきが悪い。アーミにはぜんぜん似合わない。
 いっこうに返事をしない恋人に痺れをきらし、レンはもう一度呼びかけた。
「ねえ、アーミってば!」
 さっきより強い口調で声を張り上げると、アーミテイジはようやく現実に引き戻されたようだった。
「ん? え? なんだ?」
 目をぱちくりさせながらレンを見遣るその様に、レンは言いようのない苛立ちを覚える。
「“ヘンリー”って、アーミのことだよね? 何、あだ名?」
「……昔の話だよ」
  ──答えになってないじゃん。
 レンの心は重く沈む。
 まるで鉛でも食らったみたいだ。
 空港で、先を歩く二人から漏れ聞こえてきた会話が、嫌でも耳に甦る。

「頼む、ここで会ったのも何かの縁だ。お前の会社にとっても悪い話じゃないはずだ」
「いや、まあ、そうだが……」
 何か仕事の依頼でもされているようだったが、アーミテイジの受け答えは歯切れが悪かった。いつものような、打てば響くような返しも、気の利いた冗談のひとつすら飛ばさず、まともに視線を合わせようともしていない。
 らしくないアーミテイジの様子は、レンを動揺させるには充分だった。
「ところでヘンリー。お前、ちゃんと食ってんのか? 相変わらず細いな」
「べつに、ふつうに食ってるよ。ていうか、その呼び方はやめてくれないか」
 ヘンリーと呼びかけられたとき、アーミテイジがびくっと小さく身体を震わせたのを、レンは見逃さなかった。しかしネイサンはアーミテイジの抗議をまるっと無視して、へらへらと笑う。
「どうだかな。お前は昔から、食わないとすぐ体調崩すから。今度、商談がてら旨いもの食いに行こう」
「お、おい、まだ引き受けるとは一言も……」
「いいや、お前は引き受けるよ。賭けてもいい。じゃあまたな、ヘンリー。彼氏くんも!」
 そう言ってネイサンは唐突にくるりと振り返ると、レンに手を振った。
 去り際、ニヤリと笑ってみせたネイサンの顔には「お前の嫉妬なんかお見通しだ」と宣戦布告のように書かれていた。

  ──手を振り返したときの、俺のつくり笑顔、きっと引き攣ってたよな。
 レンは悔しさに歯噛みする。
 思い出せば募る苛立ちと不安が、つい言葉に刺となって現れる。
「何だよアイツ。“飯食ってるか?”とか言っちゃってさ。久しぶりに会っておいて訊くことか。彼氏きどりかよ」
 しかしアーミテイジは答えない。それがさらにレンを刺激する。
「ていうか、どういう関係なんだ。馴れ馴れしい」
「レン」
「アーミが迷惑してるのも気づかないでさ。あんな奴の仕事、受けることないよ」
「レン……やめてくれ」
 咎めるようなアーミテイジの口調に、レンの不安は頂点に達した。
「なんだよ! どういう関係かって訊いただけじゃないか! 答えられないような関係なのか?!」
「レン、違う。そうじゃない。ただ──」
  ヒステリックに問い糾すレンにアーミテイジは弱々しく反論するが、その態度はレンの短気を煽っただけだった。
「“ただ”? “ただ”何だよ? 元カレか? “ただ”の元カレにもしかしてまだ未練があるのか?!」
「やめろ!」
 とつぜん、驚くほど大きな声でアーミテイジが怒鳴った。あまりの迫力に、レンは思わず身を竦ませる。
「──あ、す、すまん。レン、怒鳴るつもりじゃ──」
「もういい! 知るか!」
 焦るアーミテイジに憤然と答えると、レンは運転に集中するとでも言いたげに前を向き、きっと唇を噛んだ。
 怒鳴られたことよりも、ネイサンという男をかばうような態度がショックだった。
 車内は重い空気に包まれ、静まりかえった。

(続けたい)