[寺AU][phelmitage] 悪友

!注意! 特殊設定の現代AUです。ご了承のうえお読みください。

 自分のスマホがないことにレンが気がついたのは、コンビニバイトの早出勤務を終えて帰宅する途中だった。
 ──あいつの部屋か。
 すぐに心当たりに気づき、思わず舌打ちをする。
 深夜2時を過ぎる頃までだらだら飲んでいた、悪友──いや、友人ではなくて単なる腐れ縁だ──の部屋に置いてきたのだ。
 職場を出たのが8時すぎ。つい数時間前まで居座っていたとは言え、今はまだ朝の時間帯だ。
 日曜の早朝に再度訪問するなんて少し気が引けたが、背に腹はかえられない。
 レンは、ハックスの住むタワーマンションに急いだ。

 *

 広いエントランスに人影はなかった。仕方なくインターホンのパネル前に立ち、友人の部屋番号を押す。
 以前のハックスだったら、この時間は絶対に寝ていて、下手をしたら出てこない可能性があった。
 が、今は違う。
 今はミタカがいる。
 人格に重大な欠陥があるとしか思えないクソ野郎のハックスに、なぜあんな優しくて思いやり深い恋人ができたのか、レンはいまいち納得できずにいる。しかも、ミタカの方がハックスにぞっこん惚れ込んでいるというのだから空恐ろしい話だ。
 初めのうち、レンはミタカに何度となく「あなたはあのクソ男に騙されている」と伝えたのだが、その度、彼は怒るでもなく、人の良さそうな顔で「レンさんは優しいですね」と微笑んだ。
 もしハックスのいつもの気まぐれで、ミタカが手酷く傷つけられるようなことがあれば、俺も今後は奴との付き合い方を考えざるを得ない──そんなふうに思う程には、レンはミタカのことを好ましく思っていた。
 ──まあ、餓死寸前のところで旨い飯を与えてもらったから懐いているだけだろと言われれば、それまでなんだが。

 とまれ、どうせ彼らの関係は早晩破綻するだろうと危ぶんでいたレンだったが、その勘は見事に外れてしまった。
 なんとハックスのほうが変わり始めたのだ。
 あの嫌味な冷血漢が、ミタカにだけは細やかな感情を見せるようになった。何度か酒席を共にすると、どうやら甘えてさえいるらしいことが窺え、レンは少なからぬ衝撃を覚えた。
 あいつの脳内にも、思いやりという概念が存在していたのか、と。

 とは言え、レンに対するハックスは依然として糞野郎のままで、その事にレンはムッとしつつ、多少安堵もしていた。

 そして、レンは気づけばハックス&ミタカのカップルと、なんとなく「仲良し」になっていた。

 *

「……ぅあい」
 部屋番号をプッシュして数秒後、インターホンから気だるげな返事とも呼べない声が応えた。対応するのはミタカだろうとレンは踏んでいたのだが、意外にも応答したのはハックス本人だった。
「あー、俺。悪い。スマホ忘れたっぽくて」
「んだよ、レンかよ──帰れ」
「いやスマホ! ないと困るんだよ。すぐ帰るから」
「……だりぃ」
 ガチャリとインターホンが音を立てて切れる。
 レンのこめかみの血管がビキリと浮き上がったと同時に、ポンと間抜けな音と共にエントランスの自動ドアが開いた。
「……ドーモ」
 憮然としながら一応の礼を言い、レンはロック解除されたガラスドアをくぐった。

 部屋にたどり着いてドアチャイムを押す。
 30秒ほど待つ。が、反応がない。
 もう一度押す。
 40秒の沈黙。
 もう一度押す。
 そのまま2分が経過し、爆発寸前のレンがドアをぶん殴ろうと拳を振り上げたとき、唐突にドアが開いた。
「うわ」
「うるさい」
 半目を閉じたままぬっと現れたハックスに、レンは思わずのけぞる。
 ハックスは裸だった。
 いや、正確には、ローブを羽織っては、いた。
 裏葉色のシルク地に、薄紅の菊の花が染め抜かれた着物──ではなく、勘違いジャパン代表みたいなキモノ・ローブ。
 それを素っ裸に一枚引っ掛けただけの格好で、ハックスは仏頂面で突っ立っていた。
 だらしないと言ってやりたいところだが、残念ながら気怠そうに佇む姿はむしろ「しどけない」と表現したほうが相応しく、見てはいけないものを見たような居心地の悪さと、そんなもの見たくもなかったのに何なんだよという腹立ちに、レンの口調は自然と荒くなった。
「あのなあ! 俺は自分のスマホ取りに来ただけ──」
「ない」
「はぁ?」
「探したけど、んなもんない」
「嘘つけ! 探すような時間ないだろ!」
「……まあ、探してはいない。けど、ない」
「はあぁ?!」
 もういい、自分で探すとハックスを押し退けようとして、レンの目は偶然、彼のはだけた胸のあたりを通過してしまった。
 点々と、赤い痕が散っていた。
 その意味を理解した途端、レンの脳裏にミタカとハックスのとんでもない光景がよぎる。
「ヒュッ」
 想像したくもないのに考えてしまう自分の脳内映像に怯み、レンは息を呑んだ。
 慌てたレンの視線は、さらに慌ただしくあちこちを泳ぐ。
 ハックスの不健康に白い脚のあいだから、菊紋様と同じ薄紅色をしたローブの裏地がちらりと覗いていて、それがやけに艶かしい。下着をつけていない姿は普段なら笑えたはずが、情事の余韻を色濃く残す刻印だらけの身体ではそうもいかない。
 良く見れば悪友の薄い身体に散らばった赤い痕跡の一部は、歯形のようなものであることが確認された。おまけに、内股あたりには、何やら白い滓のようなものがこびりついている。
 その正体に思い至った途端、レンは理不尽な怒りに突き動かされて叫んでいた。
「ふ、ふ、ふ、ふざけんな!」
「何がだ、この非モテ糞童貞」
「童貞じゃない! 関係ないだろ! いいから俺のスマホ返せ!」
「だーから、ないっつってんだろうが。大体、なんなんだ貴様。さっきから、いきなり押し掛けてきて奇声ばっか発しやがって」
「あんたがとんでもないカッコで出てくるからだろ! いきなり来たのは悪かったけど──」
「悪いと思ってんなら電話くらい寄越せ!」
「だから! その電話がなかったんだよ!」
「ちょ、どうしたんですか」
 怒鳴りあう二人の背後から、不意に声がした。レンとハックスが同時に振り返る。
「フェル」
「ミタカさん」
 そこには、怪訝そうに眉根を寄せたミタカが立っていた。ボクサーパンツ一丁で、肩からバスタオルを引っ掛けただけの姿で。
 髪からはまだ水滴がしたたり落ち、明らかにシャワー上がりたてだった。
 ──こ、これの意味する所は……!
 レンは白目を剥く。
 ──気まずい! 逃げたい!
「玄関先に立たせたままなんて失礼ですよ──って、アーミテイジ! あなた、なんて格好を!」
 レンの内心など預かり知らぬミタカは、けれど玄関で棒立ちになっているアーミテイジの格好を認識するなり、血相を変えて走り寄ってきた。
「レンさん、とにかく上がって」
 むりやり室内にレンを引っ張りこみ、ミタカが玄関のドアを閉める。
「フェル、なんでお前、先にシャワー入っちゃうんだよ」
 あたふたと自分のバスタオルをハックスに被せて体を隠そうとするミタカに、ハックスが不満そうに言った。
 その甘えるような口調に、レンは唖然とする。
 ──こ、こいつ、本当にハックスか……?
「あなたがいくら起こしても起きなかったからでしょう。ほら、アーミテイジもシャワー入ってきてください。その格好はレンさんに失礼すぎます」
「こいつは私の裸なんか見慣れてる」
「ぅおいオッサン! 語弊!」
「レンさん、本当にすみません。あの、どうなさったんです?」
「あ、実はスマホを」
「帰れ」
「アーミテイジ!」
 スミマセンスミマセンと謝りながら、ミタカはハックスをバスタオルでぐるぐる巻きに巻き込んで、彼をずるずると部屋の奥に引きずって行く。「いいからシャワー入って!」というミタカの声に、やぁだフェルと入るぅとむずがるハックスの声がかぶさり、とうとうレンの足は震えだした。
 ──ちがう、あんなの絶対ハックスじゃない……!
「やだ、一人なんかやだ」
「困らせないでください……! それに一緒に入ったらいつまで経っても、その………お、終わらないでしょう?」
 ──あの、筒抜けなんですけど……。
 聞こえないよう音量を抑えてはいるらしいが、すべて聞こえるやり取りに、レンは顔を覆う。
 もう、ダメだ。
 スマホなんかどうでもいい。
 はやくここから撤退したい。
 ──帰ろう。
 そう腹を決め、そろり、そろりと踵を返しかけたレンの背に、
「レンさん」
「びゃっ」
 ミタカの声がかぶさり、レンは肝を潰した。
「本当にすみません……」
 振り返ると、Tシャツを身につけたミタカが身を縮めるようにして佇んでいた。
 部屋の奥から、シャワーの水音が聞こえる。
「とんでもない所をお見せしてしまって……」
「あ、いや、その。俺もいきなり来ちゃって」
「スマホでしたっけ。すぐ探しますね──あの、良ければ上がってください」
 そう促され、レンは躊躇しつつも靴を脱ぐ。
 部屋に戻っていくミタカの背中を追いかける。
 寝室の前をとおりすぎたとき、ミタカがさりげなくそのドアを閉めるのを見て、レンは首を竦めた。
 ──別に俺、悪いことしてるわけじゃないよな? なんで俺が後ろめたい気分になんなきゃいけないんだ……。
 一抹の理不尽さを覚えながら、レンはミタカと共にリビングを探して回った。
「あった」
 数分もしないうちに、レンのスマホはテレビのリモコン置き場に紛れているところを発見された。
「あの、レンさん」
 良かったと安堵しているレンに、ミタカがおずおずと声を掛けた。
「くどいようですが、先刻は申し訳ありませんでした。なんというか──」
 お見苦しいところを、と赤面するミタカに、レンは苦笑する。
「いえ、俺のほうこそ、変なタイミングで来ちゃって」
「そんな! ただ、なんだかんだ言ってアーミテイジはあなたに甘えているみたいで。甘えかたがめちゃくちゃですけど」
「はい?!」
 思いがけない唐突なミタカの言葉に、レンは目を白黒させる。
「あんなふうに無礼な態度を取るのは、アーミテイジなりの甘えなんだと思います。それを許してくださるレンさんがいてくれて、彼は幸せ者ですよ。変な話、僕ちょっと嫉妬しちゃうくらいで」
「はいぃ?!」
「あの、僕が言うのも傲慢な話なんですけど」
 アーミテイジを、これからもよろしくお願いします。
 そう言って、ミタカは深々と頭を下げた。
「そんな、やめてくださいよミタカさん。俺は、あいつとはただの腐れ縁で」
「縁が続くような人が、彼にはいなかったんです」
 レンさんが優しいからですねと笑うミタカに、レンはひたすら困って頭を掻くしかなかった。
 そんなレンをにこやかに見ていたミタカが、ふと思いついたように言う。
「ご迷惑じゃなければ、朝ごはんいかがです? フレンチトーストなんですけど」
「えっ、い、良いんすか」
 ここは遠慮すべきかと思いつつ、ミタカの手料理は旨い。
 レンは一も二もなく食いついた。
「ええ、二人分も三人分も同じです。レンさん朝勤明けでしょう?  お腹空いてるんじゃないですか」
「はい空いてます」
 間髪入れずに頷くと、ミタカは朗らかに笑った。
「ご、ごちになります」
「ハァ?!」
 今度はレンが頭を下げる。それと同時に、すっとんきょうな声が背後で響いた。
 ミタカが破顔する。
「アーミテイジ、上がったんですね」
 いつの間にか、背後には全身から湯気を立てて、やはりトランクス一丁の──こいつらは裸族なのか? とレンは一瞬思う──アーミテイジが、鬼の形相で佇んでいた。
「なんでコイツが一緒に飯食うの?」
「いいじゃないですか。皆で食べたほうが美味しいでしょう」
「ゴチになります」
 同じ台詞を繰り返すレンを、アーミテイジがものすごい目つきで睨む。
「繰り返すな! 貴様は帰れ!」
「アーミテイジ、ワガママ言わない。それより手伝ってください。ああ、その前に、ちゃんと服着てくださいね」
「やだ! やだったら、やだ!」
「あ、俺手伝います」
「ありがとう、じゃあお皿出して頂けますか?」
「レン、しれっと馴染んでんじゃないぞ貴様?!」
「いいから服着ろよ、アーミテイジヽヽヽヽヽヽ
「き、貴様……!」
 朝からこんな賑やかなことはしばらくなかった。 
 ──これはこれで、悪くない。
 ヤダヤダと駄々を捏ねる悪友のみっともない顔を眺めつつ、そんなことを思い、レンは思わず笑い声を立てていた。

(了)


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