[寺AU][phelmitage] 蛍光灯 – refrain –

!注意! 特殊設定の現代AUです。ご了承のうえお読みください。



 このマンションに通うのも、あと少しだ。
 盆踊り大会で賑わう夜の商店街を抜け、アーミテイジの住むマンションにたどり着いたミタカは、エントランスホールを感慨深く眺めた。
 一ヶ月とちょっとで整理しきれるのか不安になるほど大量にある彼の洋服に思いを馳せながら、預かっている(本当は規約違反らしいが)専用ICカードキーを財布から取り出す。
 読み取り機にかざそうとして、それより一瞬だけはやく、フロントドアが開いた。
 ──あれ?
 違和感を覚えたが、すぐに気を取り直してエレベーターに向かう。
 恋人の住む階にエレベーターが到着し、ドアが開いた途端、微かに線香のような香りが鼻先を掠めた。
 背後で音もなくドアが閉まる。
 何の気なしに振り返ると、エレベーターは迷いなく階下に向かって下りていくところだった。
 向こうから来た見えない人物が、ミタカと入れ違いにエレベーターに乗って去っていった。
 ──なんとなくそんなふうに感じられて薄気味悪くなったミタカは、足早にアーミテイジの部屋に急いだ。

 部屋に着くなり、ミタカはその話をした。話している最中に、恋人が極度の怖がりだったことを思い出す。しまったと後悔したが、恋人は意外にも怖がるどころか、神妙な顔をして、
「お前の顔、見たかったのかもな」
 とつぶやいた。
「な、何ですか、それ。誰がです。怖いんですけど」
 こわばるミタカに、「引かないで欲しいんだが」と前置きすると、アーミテイジは
「じつは今日、妙なことがあったんだ」
 と言って、話を始めた。

 *

 今日の夕方すぎ、アーミテイジは奇妙な呼び出しを食らった。
 今年の3月まで彼が経営していた学習塾が入居していた、ビルの管理人からだった。
 塾の入っていたフロアは現在空きフロアなのだが、そこにホームレスが入り込んでいるようだから確認してほしいという。
 管理はもう自分の手を離れているはずなのだが、と渋っても、管理人は食い下がる。来てくれの一点張りの様子から、管理人も嫌々対処しているふうな態度が伺えた。面倒なクレーマーでもいるのかもしれない。
 なぜ自分がとは思いつつ、逃げるのも億劫で、アーミテイジは不承不承、ビルに向かうことを承諾した。

 学習塾は、町の商店街から一本裏通りに入ったところにある古い雑居ビルの、3階から5階にかけて入っていた。
 1階には、花屋と一体化した文具屋、2階には理髪店と手芸店が入居して、現在も営業している。
 今どきめずらしい昔ながらの風情を残すこのビルの景色が、思いのほか自分は好きだったのだと、久々に訪れた建物の佇まいを眺めたその時にアーミテイジは気がついたという。
「毎日毎日、何年も飽きるほど見ていたのに。今さら気づくなんて阿呆みたいだな」と、アーミテイジは苦笑した。
 見慣れた旧型のエレベーターに乗り込むとき、ふっと線香の香りがした。
 ──そうか、お盆か。
 近頃では、この辺りでも七月に盆行事を行う家庭はめっきり見なくなった。けれど彼が幼い時分には、そこかしこの路地で迎え火や送り火がたかれていた。ちらちら揺れる火の煙や提灯の灯りを思い出し、アーミテイジは懐かしくなる。
 ──まだ、この時期にやる家もあるんだな。
 そんな感慨を抱いている間に、エレベーターは3階に到着した。
 ミシミシと音を立てて扉が開くと、困り果てた表情を浮かべたビルの管理人が待ち構えていた。
「一昨日から急に、同じ問い合わせっていうか、苦情が来ましてね」
 顔なじみのアーミテイジを見るなり、管理人は苦々しげに口を開く。
「ビルの空き部屋に誰かいるって。閉鎖してるし、鍵持ってるのはうちと、不動産屋と、権利者さんだけでしょ」
 いるはずないんだけどねえ、と唇をひん曲げる管理人に、アーミテイジは小さく抗議する。
「そもそも、私はもう権利者では……」
「でもねえ、この間もほら、ビルの空き室にホームレスが入り込んで、騒ぎになったでしょう。あそこの、商店街の角の」
 けれど管理人は聞こえないふりをして話を続けた。
 ──やはり、形だけでもいいから片を付けてしまいたいんだな。
 アーミテイジは勝手にそう納得した。その思いを裏付けるように管理人が勢い込む。
「面倒ごとになるのは嫌だからさ。一応、一緒に確認して貰おうと思って。ハックスさんならご近所さんだし、お父さんの時代からお世話になってるしねえ」
「はあ」
 曖昧に言葉を濁し、適当に相づちを打ちながら、アーミテイジは管理人がフロアの鍵を開けるのを待った。

 久しぶりに見る元教室だったスペースは、がらんとしていた。
 部屋を区切っていたパーティションがすべて取り除かれ、隅に寄せられているから、余計そう感じるのかも知れない。
「誰もいませんね」
 確認するまでもなく、がらんどうの空間を二人で眺め、アーミテイジが言う。
 でしょう、と頷く管理人と共に、二人は4階へと非常階段を上がった。
 やはり誰もいない。
 4階は教員の待機スペース兼事務所が入っていたフロアだ。
 一番なじみ深い西側の窓辺を見るなり、アーミテイジは思わず歩み寄った。
 窓から通りを眺める。
 今日は商店街主催の盆踊り大会が催されている。お盆と連休の最終日が重なり、例年より規模も大きめにしたらしい。
 ──去年の今頃は、この場所で。
 のちに恋人となる男と、二人きりで遠く夏祭りの音を聞いていたことを思い出し、アーミテイジはしばし感慨に耽った。
 追憶を刺激するかのように、夕焼け小焼けのチャイムが流れる。下の通りには、人出がそろそろ増え始めていた。夕飯の買い物客に混じり、夜店を我慢しきれない子どもたちのグループがいくつか、笑いさざめきながら足早に歩いていくのが見える。
 窓ガラス越しに聞こえるかすかな喧噪は去年と寸分違わず、アーミテイジは思わず笑みを浮かべた。
 と、鼻先に、ふたたび線香の香りが漂う。
 おや、と振り返る。管理人が蚊取り線香でもつけたのかと思いきや、彼の姿はどこにも見当たらなかった。
「あれ」
 のんびり窓の外を眺めているアーミテイジに呆れ、先に上階の確認に向かってしまったのだろうか。それにしては、足音も、歩み去る気配もしなかったような……。
 戸惑いながら、アーミテイジは管理人の不在だけではない違和感の正体を探して頭を巡らせた。
 昏かった。
 夕方とは言え、七月の5時だ。電気が点いていなくとも、ずらりと並んだ窓にカーテンは一枚もかかっていない。塾を経営している時も、西日が眩しいからブラインドは必ずしめろと、口を酸っぱくして言っていたくらいだ。
 にもかかわらず、がらんとしたビルの空き室は、まるで薄墨を流したように暗かった。
 いぶかしく思いながら、アーミテイジは窓辺を離れ、非常階段へ向かう。建物の奥側はさらに暗く、怖がりのアーミテイジは気味悪く思ったらしい。
 5階に上がろうと階段を見上げた途端、先に階段を上がっていく人間の後ろ姿が目に入った。
 女性だった。
 暗い踊り場にひるがえる白っぽいスカートの裾に、紺青の花模様が散っていたのが、やけにはっきり見えた。
 ぎょっとして、アーミテイジは思わず後を追いかけた。5階まで駆け上がりながら、彼女の足音がまったくしないことに気づき、アーミテイジの背筋には冷たいものが走った。

「待ってください。あなた、怖がりのくせに、よくそんな大胆な……」
 思わずミタカが口を挟むと、アーミテイジは苦笑し、そうなんだよと事もなげに言った。
「でも、あのときは何故だか、恐怖よりも追いかけなきゃ! って気がしたんだよな」

 5階に到着する。
 果たして、窓辺に佇む人影があった。
 ちょうど先ほどのアーテイジと同じように、こちらに背を向け、窓の外をじっと眺めている。
 やはり女性のようだった。
 ほっそりと背の高いシルエットは逆光でよく見えないが、長い髪をゆるくうなじのあたりで結んでいる。夕陽に照らされているせいか、後れ毛が赤く透き通って見えた。
 その後ろ姿を見たとたん、アーミテイジの脳裏に、幼い日の光景が甦った。

 幼い彼は、商店街を歩いている。
 まだ小さい彼の手を引く柔らかい掌。
 見上げると、長い赤毛を飾り気なくひとつにまとめた女性の背中が見えた。
 前を向いたまま、女性がのんびりと彼に話し掛ける。
 ──ねえ、お夕飯、何がいい。
 穏やかで低い、優しい声。
 この声を、自分は知っている、とアーミテイジは強く思う。
 強い西日を背に、女性がゆっくり振り返る。
 ──アーミテイジの好きな、メンチカツにしようか。

「かあさん」

 声に出してつぶやき、アーミテイジは我に返った。
 目の前がぱっと開けたように明るくなった。
 フロアの電気が点いたのだ。
 ハッとして窓辺に目を遣る。
 誰もいなかった。
「ハックスさん、ここでしたか」
 不意に背後で声がし、振り返ると管理人が階下から上がってきたところだった。
「あの、電気」
 戸惑いながら、急に点灯した天井の蛍光灯を指さすと、彼は笑って
「暗いと、侵入者がいても見逃してしまいますからね」
 と、一旦1階の管理室に戻って、全フロアの電気を点けてきた旨を説明した。

 結局、どのフロアにも侵入者はいなかった。
 アーミテイジは、人影を見たことを黙っていた。

 *

 アーミテイジが語り終わっても、しばらくは二人とも黙っていた。
 いつの間にか空になっていた互いのグラスに、ぬるくなった冷酒を注ぎ足し、ようやくミタカがぽつりと言った。
「そんな、ことが」
 注がれた酒を一息に呷って、アーミテイジは溜め息をつく。
「あの背中、なんだか興味津々って感じで、表の通りを見てたみたいに見えた」
「……あなたが働いていた場所を、見たかったのかもしれませんね」
「あるいは、ニートになるとか言い出したから、キレてたのかもしれん」
「まさか」
 思わず笑いがこぼれる。
 笑いながら、ミタカはふと気づいたように鼻をひくつかせた。
「いつもとは違う、いい匂いがすると思ったんですけど」
 これって、とアーミテイジの顔を見る。彼は照れくさそうに頷いた。
「柄じゃあないんだけどな。うちに線香はないから、香を焚いたよ」
「良いにおいですね」
「性欲は減退しそうだけどな」
「ちょっと!」
 しばらく二人で笑い転げたあと、ミタカがしみじみと言った。
「これを買ってきたのも、あなたの好物ってだけじゃない気がしてきました」
 視線の先、テーブルの上の皿に盛られたメンチカツを見詰めながら、ミタカは心の中でつぶやく。
 ──僕じゃあ、頼りにはならないかもしれませんが。
「この人と、生きて、いきたいんです」
 宙に放った言葉は、お伺いを立てるというよりは、祈りの気持ちに近かった。
 アーミテイジが、黙ってミタカの肩に頭を預ける。
 まっすぐ立ち上る香の煙が、不意に、風もないのに優しく揺れた。

(了)


こちらの話と対になっています。→ https://kabe-uchiroom.com/mypage/post.php?id=653684


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