[寺AU][phelmitage] とける、ふたり

!注意! 特殊設定の現代AUです。ご了承のうえお読みください。


以下の短編から続いています。


 


 その日の朝七時頃、洗濯物を干していると携帯電話が震えた。
 アーミテイジからだった。
 何事かと慌てて出てみると、彼はいたって呑気な声で、今朝も暑いなとか、粗大ゴミちゃんと出したぞとか、そのせいで部屋が空っぽになったとか、とにかく他愛ない話ばかりをした。
 ピンときた。
 こういうときほど、彼はなにか大切な言葉を内側で育てている。
 だから僕は、本題に入るまで、ただ相づちを打ち続けた。
 30分ほど経った頃、ようやく「ゆうべ、レンに会ってきた」とだけ告げられた。
 そして、さっきまでの饒舌さが嘘のように黙りこくった。
 何かを圧し殺すような沈黙が続く。
 電話の向こうの彼が消えてしまいそうな気がして、僕は些か躊躇しながらも、そちらに行っていいかと尋ねた。
 アーミテイジはただ、小さく「うん」と言った。

 いつものようにマンションで僕を出迎えたアーミテイジの姿を見て、僕は驚きの声をあげた。
 彼のもじゃもじゃした顎髭はきれいさっぱり消え去り、長かった髪もばっさり切られていた。ところどころラインががたついていて、どうも自分で切ったようだと察する。
「男前だろ」と笑った彼は、たしかに今までの胡散臭い風貌とは似ても似つかない爽やかな見掛けになってはいた。が、それ以上にどこか弱々しい空気を纏っていて、まるで大きな怪我を負った直後のように見えた。事実、あのときの彼は自らの意志で半身を切り離したようなものだったのだと、後になって僕は知ることになる。
 だが、実際そのとき僕にわかったことと言えば、彼がレンさんに会い、そして彼らの間にあった何かが決定的に変わった──あのときの僕には、それが彼らの絆の喪失としか思えなかったのだが──ことだけだった。
 僕のせいだ。
 真っ先に心に浮かんだのは、自責の念だった。
 僕の強欲が引き起こした事態だと、僕の直感的は告げていた。僕は、もしかしなくても、とんでもないことを望んでしまったのではないだろうか。二人が長い時間かけて培ってきた歴史を、僕が嫉妬したというただそれだけのことで、台無しにしてしまったのではないか。遅まきながら、その意味の途方のなさに苛まれて言葉を失う。
 沈黙の意味を勘違いしたアーミテイジが「この髪型、気に入らないか?」と心配そうに問いかけた頓珍漢な問いすら、しばらくは理解できないほどに狼狽し、僕はその場に立ち尽くした。
 やっとのことで理由を察したアーミテイジが、苦笑して僕を優しく抱き締めてくれるまで、僕はそうやって只管、玄関先で固まったまま突っ立っていた。
「お前のせいじゃない。いい加減やらなきゃいけないことだったんだよ」
 そう言いながら、彼は僕を安心させるように背中を撫でた。
「これでようやく、独りになれた。あいつも、私も」
 ──ありがとう。
 耳許で囁いた彼の礼は思いがけなく力強く、温かった。背中を撫ぜる彼の手のぬくもりがこんなにも優しいのは、それが他でもない僕のためだけに向けられていからだと気がつく。僕は卒然と悟った。
 僕は、彼のことを何も知らない。
 それで良いのだ、と。 
 涙が頬を伝った。
 暴走する僕の欲望を、彼はきっと最初から受け止めるつもりでいてくれた。
 僕は、とっくに彼に赦されていたのだ。
「この間は話せなかったことも、だから、これから追々話していくことになると思う。あいつの許可も取ったことだし」
 途切れ途切れに彼の喉が震わせる声が、染みとおるように僕の鼓膜を震わせ、胃の腑まで落ちていく。肩に入っていた力が抜けていく。
「それは、言い換えれば、私のしがらみにお前を巻き込むということだ。ほとんど終わっているとは言え、何があるかわからん。魑魅魍魎しかいないような家系なんだ、私の血筋は」
「まあ、お前はどうせ“謝らないでください”って言うし、耐えちゃうんだろうけどな」
「それでも私は、やっぱり辛いんだよ。すまんな、こんなんで」
 自嘲ぎみに笑い、彼はそう言うと唐突に頭を下げた。
「毒を食らわばってことで、ひとつ。頼む」
「何を」
 僕は、そこでようやく言葉を──自分を取り戻した。言った。
「何を言ってるのか、わかりません」
 喋ると、あとからあとから、涙としゃっくりが湧いて出てきた。
「あなたは、いつもそうやって難しいことばかり」
「だよな。わかんないよな」
「わかんないですよ。だって」
「うん」
「だって、僕は、あなたの何も知らないし、あなたは僕じゃないし、それでも僕はただ、あなたに……」
「うん」
「あなたに、そばにいてほしい。それだけなんです。いや、いる、あなたはいるんですけど」
「うん、いるな」
「ちょっと、黙っててください」
「うん、ごめん」
「なんていうか、僕、僕は──」
 そうだ。
 だから、僕は。
「もう、何も望んでなんかいません」
 言ってしまってから、ああ、そうだったのか、と思った。
 色々落ち込んだり、勝手に不安になったりしていたけど、それは、彼が僕ではないからだったのだ。
 僕は彼じゃないから、彼が迷ったり悲しんだりすることを、僕には止められなくて、そんな当たり前の事実に、自分が自分でしかないことに、苛立っていた。でも。
「あなたがいれば、それで、いいです。いいんです」
 大声で叫ぶように言ってしまうと、あとは泣き声しか出て来なかった。
 そして、わんわん泣きながら、これはちょっと嘘だな、とも思った。でもやっぱりそれは僕の偽らざる本心でもあって、つまり僕は彼に言っていたのではなく、むずがる自分に諭していたのだった。
 このあいだの延長戦でもするみたいに、僕は玄関先で突っ立ったままひたすら泣いて、泣いて、泣きわめいた。
 それで気が済んだんだと思う。
 ある時点で、僕の心は、唐突に静かに凪いだ。
 そうなるまで、彼はやっぱり何も言わずに僕を抱き締め続けてくれた。

 やがて落ち着きを取り戻した僕が涙を拭い、照れ隠しみたいに笑い、彼も笑い、それから僕は靴を脱いで部屋にあがった。
 気分はすっきりしていたし、泣いている僕を慰め続けたアーミテイジには、なぜかちょっとだけ生気が戻ったようにも見えた。くっついていたから、僕の命がかれに伝染ったのかもしれない。そんな妄想をして満足している自分に気がつき、僕の彼に対する執着の深さは、もしかしたら尋常じゃないのかもしれないと気がつく。ほんの少し怖くなる。それを許す彼も含めて、僕たちの形は、だいぶ歪なのかもしれない。
 それでもいいと言ってくれるこの手を、取ってしまっても良いのだろうか。
 戸惑いながら、それでも彼と僕は手を繋ぎ、リビングに向かった。
 いつものように。
 それが答えなんだろう。

 粗大ゴミを全部出したという彼の言葉に嘘はなかった。
 やけにさっぱりしてしまった、だだっ広いリビングには、「何かと便利だから」と最後まで彼が捨てることを拒否した巨大なビーズクッションだけが鎮座していて、現代美術の展示みたいになっていた。
 今日は特にすることもない。どこか出かけますかと提案した僕に、彼は「今日は一日、部屋にこもって、ひたすらくっついていたい」と言った。
 婉曲的だけど、けっこう大胆な誘い文句だなと僕が顔を赤らめると、彼は怒ったように「そうじゃなくて、本当にただくっついていたいだけだ」と抗議して、僕は慌てて両手を挙げて異議なしの旨を告げた。
 
 夏の午前の陽光が射し込む場所にビーズクッションを移動させ、二人して寝転がる。
 僕がアーミテイジを後ろから抱き込むお馴染みの形態で、クーラーをガンガン効かせて、外の街並みや青空を眺めているけの時間は、びっくりするくらい優雅で、幸福な気持ちになれた。
 太陽の熱に溶かされた互いの体温が、ひんやり冷えたクーラーの冷気のなかで再び冷えて、ひとつに固まっていく。

 まるでふたりでひとつの生命にでもなってしまったみたいなあの夏の一日は、きっと僕らの生活の根源なんだと、僕は今でも思っている。

(了)


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