[寺AU][kylux] 熱風、凪いで

!注意! 特殊設定の現代AUです。ご了承のうえお読みください。

熱風、凪いで

 こんなふうに暑くて風もない熱帯夜にドブ川から上がってくる風はそれだけで息が詰まるほどムッとした熱気に満ちていて不快だ。深夜の二時を回った時刻にだらしないTシャツ姿の男ふたり組が、ひとりは白、ひとりは黒で、白い方はヒョロくて黒い方はがっしりで、どこまでもワンセットみたいな見た目なのがなんか嫌だなとおもう、けど砂利と大小様々の石を固めてできた橋の欄干にだらりと背を預けているのは意外とひんやりここちよく、隣で彼がぼそぼそ垂れ流す昔の話をはなす声の響きも、遠くの国道をときおり走るトラックのエンジンも、ひとけのない住宅街の路地に点々と目立つ街灯も、ドブ以外の夏の夜の匂いも、深夜であることを忘れてたまに間違ってジジッと鳴くセミの声も、悪くない。ぜんぜん悪くない。それは隣に彼がいるからかもしれない。またドブ臭い熱風がむわりと上がってきて俺がおおげさに顔をしかめて鼻に皺を寄せたとき、彼が言うのが聞こえた。
「ヤるか?」
 意味をとらえ損なった音の連なりだけが脳を撫でていって、ぽかんと彼のほうを見る。呆けた顔をしていたとおもう。彼は俺をじっと見て、それから焦れたようにもう一度言った。
「ヤるか? ってきいたんだが」
「……ヤる」
 即答の部類に入るだろう。
 どこをどうしたらそんな質問になるんだ、とは言わなかった。その質問で、ようやく彼がその日一晩中だらだらとしゃべりつづけていた昔話が、俺が昼間に直球で放った「未来永劫あんたが好きだ」への回答だったのだと理解したからだ。あまりに延々とつづくから聴くことを放棄していたが、あれはいまいちど語り直すという行為によって俺たちの歴史を肯定し受容し互いのものとみなすという彼なりの儀式──ええい、うるさい、なんでもいい。あわててとりあえず奴の薄い体を抱き締めようとした俺の腕を彼はひょいと交わして、
「おら、帰るぞ」
 歩きだした。
 後を追う足がもつれる。「俺、あ」バランス感覚すら失ったのか、視界が左に傾いていた。夜の街灯がギラギラと放射状の光を放って騒がしい。「あの、俺」
 何だようるせーなと不機嫌に答える後頭部がかわいい。まるい。赤毛。ふわふわしてる。さわりたい、と右手を伸ばす衝動が勢いあまって指五本ぜんぶ髪のなかに埋まって頭皮に当たった。「痛て」と呻いた彼はべつだん驚いたふうでもない。髪の毛はふしぎだ。肉体のくせに肉じゃないのに、体温のてざわりがある。頭皮と汗でぬめる指先の感触がやけにエロくて俺は少し勃起した。
 静まり返った住宅街の夜道の前方に、突如煌々と光る直方体が出現した。
「コンビニ」
 いつも早足の彼がさらに早足になっている理由を考えもせず、俺は直方体の名を口にする。口にしたとたんに意味が判明して、寄らねばならぬ理由があることも閃いた。
「なあハックス、コンビニ」
「ああ?」
 そういえば愛の返事をかえしてから一度たりとも俺の顔を見ていなかった彼が振り返る。恐ろしく不機嫌な顔をしていた。目には、殺意。
「なんで」
 答えようとしたとき、殺意が俺の下半身に釘付けになった。気まずかったので開きかけた口を閉じ、足を早めて彼を追い越してさっさとコンビニに入った。アホみたいな電子音のチャイムとともに、暴力的なまでの明るさと冷房と日常に包囲される。カゴを手に取り素早く勃起を隠す。そのままある棚に直行した。奴に追い付かれたくなかったからめちゃめちゃ急いだ。
 ここのコンビニは来たことがなくて、俺はコンビニで働いてるからわかるが、あまり流行っていない。棚が荒れているし、品揃えが回転数を考慮して無難なやつしかない。まさか品切れってことはないだろうなと少しだけ焦りつつ、無印良品のコーナーに立つ。サインペンやメモ帳、ヘアゴムなどから徐々に視線を落としていく。あった。銀色の包み。ジップロックで封をされた4個入り、税込290円。そっけなく書かれた「コンドーム」の文字が心強い。
 不自然にならない程度の速度でひっつかみ、かごに放り込む。同時にカゴが揺れ、何かと目を剥いたら追い付いてきた彼が500mlの麦茶と桃の天然水とポカリのペットボトルを放り込んでいた。
「要らないだろ」
「こっちの台詞だ。ゴムなんか買いやがって。アホか」
 まさかナマで、と失言する前に、彼は拗ねた顔で言い放った。
「持ってるわ、そんくらい」
「は?」
 俺の余裕が失われた。ついでに勃起もおさまった。
「……なんで?」
「モテるから」
 聞いたのは俺だけど、それは答えなくていい。よかった。知りたくなかった。想像したくなかった。
 何事もなかったかのように振る舞い、俺はレジに向かう。無表情で店員にカゴを差し出す。無表情な店員が、らーしぇ、とか言いながらピッピッとレジを通す。表示されていく金額を眺めていくうち、金足りるか? というちいさな疑問が頭をよぎる。
「あ、PASMOで」
 ついと横から伸びてきて、彼が当然のように支払う。助かった。横を向くと、バーカ、と表情だけで言っている憎たらしい顔にぶちあたる。びっくりするほど小顔だ。男前だ。キスしたいな、と思った。
 これからの時間が詰まったビニール袋を受けとると、重い。嬉しくて笑う。彼が呆れた顔をしてそっぽを向く。あぃやっさぁという店員の声を後頭部で聞き流し、発行する直方体を後にするあいだも、たぶん俺は彼の顔に見とれていた。顔だけじゃない、存在そのものに。
 生ぬるい熱帯夜の熱気にふたたび晒され、彼のマンションに着くまで歩く。手を繋ぎたい気もしたが、なぜかできずに、ふたりとも競歩かってくらいに必死に歩いた。
 取り澄ました高級そうな見た目のエントランスを過ぎ、エレベーターに乗り、エレベーターのドアが開き、彼の部屋の前に着き、ドアを彼が開けるとき鍵を取り落とすようなアクシデントもなく、とどこおりなくドアは開かれ、玄関で靴を脱ぐあいだも、俺たちは触れあわなかった。触れなかったのに、生々しいくらい互いの体温を感じていた。
「手、洗えよ」
 洗面所から声が飛ぶ。
「うん……あ、ああ?! うん!」
「バカ、そういう意味じゃない」
 ハンドソープを大袈裟なくらい泡立ててていねいに手を洗う彼は俺を見ない。見ないまま客用のハンドタオルを放り投げてきた。
 俺が手を洗っているあいだに、彼は買ってきたペットボトルとかをしまいに行った。後を追うようにリビングに向かう。彼は律儀に、半端に灯りのついた薄暗いダイニングで、空になったビニール袋を畳んでいた。テーブルの上に銀色のパッケージが置かれている。足音を殺して、つまらなさそうにポリ袋をくるくる丸める彼に近づく。あと数歩というところで、
「シャワー」
 ぽん、と何かが飛んできた。反射的にキャッチする。正方形に畳まれたビニール袋が掌のなかにあった。
 俺を残し、入れ違うようにふたたび洗面所に去っていく背中を振り返る。
 入ってくるなとか、お前もどうだとかの誘いも命令もなく、俺は取り残された。
 佇むこと、5分。
 意を決して後を追う。はぐらかされているわけではないが、なかなか掴みきれない彼を、焦れるとかではなく、俺はただ、ひたすらに追った。必死すぎて、磨りガラスにうつる肌色の影に勃起することすら忘れた。
 服を脱ぎ捨て、(いちおう控えめなノックをしてから)思いきってドアを開く。気合いが入りすぎてバン! と大きな音がしたが、彼はびくりともしなかった。白い裸体が、シャワーで濡れていた。あっという間に勃起した。彼がこちらを見、ちいさく笑った。
 手を伸ばして、今度こそ肩をぐいと掴もうとした矢先、シャワーヘッドが目の前に突き出された。
 凄まじい勢いの湯が顔にかかる。
 息ができない。あわてて顔を背けるあいだに、彼はするりと脇を通り抜けて出て行ってしまった。
「お前の着替え、ここ置いとくからな」
 微妙に笑いを含んだ声が、磨りガラスの向こうから聞こえる。
「はい」
 大人しく、丁寧に体を洗って、出た。
 律儀に畳まれた黒いTシャツとスエットと真新しいトランクスが置いてあった。ありがたく身につけたが、さすがに何かが腑に落ちなかった。
 髪が濡れていたら絶対に文句を言われるから、ドライヤーで丹念に乾かし終わるころには、さすがに焦りが生まれていた。ヤるか? って訊かれたよな? 俺、ヤるって答えたよな? 自問自答をしながら洗面所を出る。電気の消えた廊下、むかいにある寝室に直行する足音が、少し高くなっているのがわかった。
 両開きの寝室のドアを開く。部屋には読書灯だけがぼんやりついて、その暗がりの中、ベッド脇にハックスは立っていた。白いパジャマを着ていた。パジャマって。
 俺の登場には驚かない。奴は、いつだって俺に驚かない。当たり前みたいな顔で出迎える。
 俺は言った。
「ヤりたい、んだが」
 最低だ。
 が、これが正解な気がした。
 のろのろと奴が顔を上げる。こくり、とかすかに頷くのが見えた。腰骨の奥がじわりと熱を持つ。
 そんな必要はないのに、やっぱり俺は足音を殺しながら、ずいずいと彼に近づいていく。す、と彼の手から何かが放たれた。
 放物線をえがく、銀のパッケージ。
 俺は、無視した。受取り手のいない避妊具が、背後で床に落ち、カサリと乾いた音を立てた。
 目の前の彼に、手を伸ばす。やっと触れた体表は、クーラーの効いた部屋のせいでひんやりした。ずっと立ち尽くしていたのかもしれない。抱き締める。間を置かずにキスする。頬を包みこむように両手でかかえる。何度もキスする。彼は目を閉じてされるがままになっていた。
 不意にその眼が開かれる。青と緑と灰色と、そのほかありったけの美しい色が溶け込む、不思議な瞳が俺を見る。
 薄くて形の良い唇がひらき、ことばをかたちづくる。
「私も、ヤりたい」
 掠れた声に、俺は勃起した。強く。


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