ガソリンスタンドの倉庫は薄暗かった。
泥棒にでも入られたのか、並ぶ棚はどれも荒らされ、食料品や生活用品が床に散乱している。部屋の奥からは、引き続き気味の悪い音が断続的に聞こえ続けている。じゅるじゅるという咀嚼──何を咀嚼するっていうんだ?──の合間には、今や獣とも人ともつかない唸り声のようなものまで挟まっている。
倉庫の奥に、一歩足を踏み出す。
床がびちゃりと嫌な水音を立てた。湿った感触が靴底を通して全身に染みていく。暗くて良く見えないが、腥い臭いから、それが何であるのかは、おおかた検討がついた。
レオンは息を吐き、汗でぬめるVP70のグリップを握りなおす。
さらに一歩。
闇が深くなるにつれ、何者かの気配は益々近く、濃厚になっていく。
気配の中心がうずくまる暗がりに、照準を合わせる。
また一歩。
暗がりに、ぼんやりとふたつの影が浮かび上がった。
一人は大の字になって床に倒れていた。警備員の制服を着ている。男は苦悶の表情を浮かべ、目を見開いていた。首から下は真っ黒に染まり、どうやら血塗れであるらしいことがわずかな明かりでも見て取れた。
すでに死んでいることは明らかだった。
もう一人、若い男が死体の傍にへたり込んでいる。とりすがるようにして、死んだ警備員の腹に顔を埋めている。アルバイトだろうか、入口の死体が着ていたエプロンと同じものを身につけていた。
その体は、不自然に前後に揺れていた。
「おい」
おそるおそる、レオンはそっと男に声を掛ける。喉に絡んだ声は恐怖と緊張で情けないほど嗄れていた。
「あんた、大丈夫か」
男が、ゆっくりと顔を上げた。
のろのろと振り返る。
その口中から顎にかけてが、どす黒い赤に染まっているのが見えた。
頬や唇にこびりついているのは……肉片。
男は、死体を喰っていたのだ。
レオンが恐怖の叫び声をあげるのと同時に、そいつは獣のような雄叫びとともに歯を剥き出して襲い掛かってきた。
「イヤーーーーーーーーーーーーッ!!」
「うわあ!」
突如つんざくような甲高い悲鳴が耳元で響きわたり、ミタカは思わずコントローラーを取り落としそうになる。同時に、背後からにょきりと生えてきた二本の腕が顔に絡まり視界を塞いだ。
「あ、ちょ……!見えない……」
「逃げて!フェル、逃げて!!」
「み、見えません、離してください」
恐怖のあまりところ構わずしがみついてくる腕から逃れようと、ミタカは必死に首をあっちこっちに伸ばす。なんとか視界を確保すると、画面のゾンビはもうすぐそこまで迫っていた。
「アアアアアアアッ!死んじゃう!来てる!ゾンビ来てる!」
耳元で叫ばれ続ける悲鳴にもたじろがず、ミタカは冷静にゾンビの頭に狙いを定める。
「フェル、早く撃って!」
まだだ。もう少し近くに……。
「フェルってば!死ぬ!撃てって!」
もう、少し……。
「イヤアアアアアッ!」
「今だ!」
小気味良い銃声が鳴り響く。弾道は一直線に飛び、弾がゾンビの頭にめり込んだ。数歩下がって再び照準を絞り、続けざまに二発を叩き込む。
ゾンビの頭が綺麗に弾け、赤黒い肉の花が開く。
化け物が膝からがくりと崩れ落ちると、後ろでぎゃあぎゃあうるさかった悲鳴が歓声に変わった。
倒れたゾンビにそっと近寄り、確かに動かなくなったことを確認すると、ミタカは背後を──本当の自分の背後を──ようやく振り返った。
「もう大丈夫ですよ」
そう言って安心させるように笑う。それを聞き、ミタカの背中に隠れてしがみついていた涙目の同居人は、ほーっとため息をついて腕の拘束を緩めた。
「フェルは凄いな……いつでも冷静だな……」
その目に素直な賛辞の光が浮かぶのを見て、ミタカはなんだかばつが悪くなる。
「あの……そんなに怖いなら、やめても良いんですよ。アーミテイジも楽しめるやつをやりましょうよ」
申し訳なさそうに目を伏せるミタカに、ハックスはきょとんとする。
「楽しい」
ぺたりとくっつき、ミタカの肩に顎を載せてふにゃりと笑う。
「楽しいぞ、私は」
「でも……」
「自分じゃできないから、お前がやってるのを見るの楽しいんだ。続けろ」
「じゃあ、はい」
画面に向き直るミタカに再びしがみつきながら、フェルがゾンビ好きで良かったなー、私一人だったら絶対にやろうと思わなかったもんなーと呑気そうなハックスの言葉を聞いて、ミタカは思わず首を竦める。
ごめんなさい、アーミテイジ。
実は僕、そんなにゾンビは好きじゃないんです。
僕が好きなのは、怯えてしがみついてくる、可愛い可愛い──
「貴方なんですよ」
「え?なにが?」
「なんでもありません。──じゃ、警察署向かいましょうか」
「おう、頑張れ。死ぬなよ」
「はい。貴方の御命とあらば」
ミタカが神妙に頷くと、背後の主人は、満足そうな笑みを浮かべて、ふたたび背後に身を隠した。