「ここにいらしたんですね」
夕食ができたことを告げようと屋敷中を探し回っていたミタカは、屋根裏でようやくハックスを見つけた。
階段を上がってすぐの壁に設置された、大きな作業机に向かい、彼は背中を丸めて一心に作業していた。
階段を軋ませて上がりながら、ミタカが呆れたように言う。
「また、お手入れですか」
その口調には、かすかだが皮肉な響きが交じっている。
「……熱心なことで」
「いざというときに使えなかったら、意味がないからな」
答えるハックスの声は、あくまで柔らかい。作業に余念がないと見え、情人の苛立ちなど知らぬ素振りだ。
「こういった準備には、いくら念を入れても入れすぎということがない。お前には、そう教えてきたはずだが」
厳めしげな言葉とは裏腹に、どこか笑いを含んだ声音。
二人のあいだでは、もう何百回となく交わされたやり取りだった。
ランプの灯が揺れるたび、剥がれけた壁紙に映る大きな影も揺れ動く。
ハックスの結い上げた赤い髪が白いうなじに落ち掛かり、流れるように美しい線を描いているのを、ミタカは凝(じつ)と見つめた。
瞳に昏い陰が差す。
「毒はやめてください。約束を守れなくなってしまう」
言うなり、ミタカはハックスを強く抱き締めた。
耳元で囁く。
「――貴方を食べられない」
「馬鹿だな、フェル」
背後から急に抱き竦められたハックスは、驚いたように目を見張り、すぐに眉を下げた。
手元の小型ナイフの刃を素早く仕舞う。纏わせた死毒がキラリと冷たく光ったような気がしたが、もちろん気のせいだ。
お前だって同じもの、持ってるくせに。
いつもと同じ言葉を返そうとして、ハックスはふと気まぐれを起こした。
「なあ、フェル」
しがみつく暖かな腕にそっと手を添える。
ミタカが小さく震えた。
愛おしさに胸が塞がれる想いで、ハックスはひそひそ話でもするみたいに声をひそめる。そして言った。
「晩ご飯は、何だ」
プッとミタカが吹き出した。
抱き締めていた腕の力が緩まる。
ハックスがミタカに向き直り、二人の視線が合う。
ミタカが言った。
「タマネギのパイと、冷たいチキンです」
「すごい、ご馳走だ」
目を輝かせてハックスが言う。
「早く下に行きましょう。パイが冷めてしまう」
「デザートはあるか」
「村で買ったチョコレートバーなら。でも、あんまり食べ過ぎちゃダメですよ」
「どうして」
「太ったアーミテイジなんて、僕が見たくないからです」
「太っても私は可愛いぞ」
「そんなこと百も承知です」
二人は顔を見合わせる。
なんとなく、こっそりと笑った。
「フェル」
ハックスが言う。
「私たち、幸せだな」
ミタカが微笑む。
「ええ、とても」
階下ではパイが湯気を立て、二人に食べられるのを、じっと待っていた。