あらしのよるに

  夢を見ていた。
 なぜか僕は、故郷にいるはずの弟妹たちと山小屋にいた。外はひどい嵐で、山奥の頼りないインフラはあっという間にその生命を絶たれてしまっていた。いま手元にあるのは、昔ながらの懐中電灯、そして蝋燭のあかりだけ。
 狂ったように窓を叩く雨や、吹き荒れるびょうびょうという風の音に怯え、幼い弟妹たちがグズグズとべそをかきはじめる。そのひとりひとりをなだめ、ベッドに寝かしつけていく。
 大丈夫だよ、お兄ちゃんがついてるからな。
お兄ちゃんはファースト・オーダーで色々な知識を教わったんだ。だから電気が止まっても、暖房がつかなくなってもへっちゃらさ。
 ニルス、爪を噛むのはやめなさい。ほら、暖炉をつければ暖かいだろう?
 心配しなくていいよハーマン、外れた雨戸はすぐに修理するから。
お前たちはいい子にして、もうベッドに入りなさい。マリー、みんなを見てやってくれないか。
 言い聞かせ、皆をベッドに向かわせる。工具を携えて表に出ると、いちばん上のルーリンツ──いまはもう高校生のはずだが、夢の中では何故かまだ十歳かそこらだった──が後を追ってきた。手伝うと言う。本当は自分だって怖いはずなのに、がんばり屋のよくできた子だ。
 ありがとう、助かる。二人でずぶ濡れになりながら、外れた雨戸を直して回った。
 小屋に戻ると、他の子たちは皆、すうすうと寝息を立てていた。
 冷えきったルーリンツの身体を拭いてやり、みんなには内緒だぞと言いながらホットココアを飲ませてやる。体がじゅうぶんに温まったところで、お前も寝なさいとベッドに連れて行った。
 布団をかけてやると、彼は「兄さん、僕も大きくなったらファースト・オーダーに入れる?」と期待に満ちた瞳で語りかけてきた。
 正直に言えば、軍人になどなってほしくなかった。
 安全な場所で、豊かに健やかに、いつまでも元気に生きていてほしい。それに、こんな優しい性質の子だ。軍に入れば、見たくもないものを見て、きっとたくさん傷つくだろう。
 複雑な思いを努めて隠し、「お前ならなんだってなれるさ。ゆっくり決めると良い」と答える。彼は満足そうな笑みを浮かべて目を閉じた。
 ルーリンツが寝たのを見届け、僕はすべての部屋を見て回った。
 戸締まりはしてあるか、雨戸はしっかり閉まっているか、雨漏りはないか。
 細かくチェックして、ようやく暖炉の前に置かれたソファに横たわる。ぐっすり眠るつもりはない。けれど、少しは仮眠も取らないと……。
 これは夢のはずなのに、眠くなるなんておかしいな。
 薪がはぜる音を聞きながら、うつらうつらする頭でそんなことを考え、僕はゆるゆると浅い眠りに落ちていった。

  いったいどれほどの時間が経ったのか。
 不意にだれかが懐に潜り込んでくる気配を感じ、僕は目を開く。
 雑に引っ掛けたブランケットの隙間から、赤毛の頭がちらりと覗いた。ロージャ──いちばん下の妹。泣き虫で甘えんぼうで、いつまでたってもくっついて回る。ああ、あの子は元気にやっているだろうか──だ、と僕は直感する。
「起きちゃったのかい?」
 寝ぼけ眼で問いかけると、モゴモゴと不明瞭なこたえが返ってきた。その声が、そしてシャツの胸元をきゅっとにぎりしめた手が、かすかに震えていることに気づき、僕は彼女をそっと抱き寄せる。
 遠くで大きな雷が鳴った。
 彼女がぴくりとその身を震わせ、ちいさく縮こまる。
 ロージャ。こわがりで生意気な、ちいさなお転婆娘。
「大丈夫だよ」
 よしよしと薄い背中をなでる。
「お兄ちゃんがついてる。お前のことは、お兄ちゃんが絶対に守るからな」
 僕は、震えるロージャを抱きかかえた。この世のすべての不幸から、この子を守ってやれるように。

 けたたましい目覚ましベルの音が、野営テントに鳴り響く。
 寝床からぬっと手を伸ばし、ミタカは手探りでベルを止めた。
 ミタカの起床時刻は、一般兵のそれより一時間早い。生真面目な彼は、何事にも慎重に慎重を重ねて、万全な準備を整えるからだ。すべては彼の仕える上官、ハックス将軍のために。
 それでなくとも嵐の夜に野営などという暴挙に出たのだ。将軍は、きっとほとんど眠れていないに違いない。少しでも負担を減らせるように、色々と準備をしなければ。
 起ききる直前の霞がかった頭で、ミタカは考える。
 ──なんとも懐かしい夢を見たものだな……。
 家族の夢だった。
 この星の景色が、遠い故郷の風景とどこか似通っていたからかもしれない。里心でもついたか、と苦笑する。
 それにしても、夢にしてはずいぶんリアルだった。その証拠に、まだ胸元にはロージャの甘い髪の毛の香りがかすかに漂っているような……。
「えっ」
 さっきから左手にずっしりとした重量を感じていたが、頭がはっきりしてくるにつれてその違和感は増していた。なにげなく自分の懐を見遣ったミタカは、目を剥いて絶句する。
「しょっ、しょっ」
 自分の腕に抱き抱えられていたのは──
「将軍……?!」
 ギャッというミタカの叫びに、腕の中の上官がうーん、と唸り声をあげる。眉根を寄せ、むにゃむにゃと口のなかで何事かつぶやいている。
 ──ナンデ? なんで僕の布団に、上司が? なんで僕は、この人を抱きしめて寝てた?
 パニックに陥るミタカは、不意にさきほどの夢を思い出す。ブランケットからチラ見えした赤毛。あれはてっきり夢の続きで、だから末の妹だと思っていたのだが。
 ──夢じゃなかったってことか。ああ、僕は、なんということを……!
「……んん、ミタカ?」
「アイエエ?!」
 後悔といたたまれなさにのたうち回っていると、当の上官がとうとう目を醒ましてしまった。
 ふわぁと小さなあくびの後に、大きな伸びをひとつすると、将軍はむくりと身を起こした。まだ半分閉じている目でぼうっと此方を眺めながら、おもむろに口を開く。
「おはよ」
「おっ?! おはっ、おはよ、ござ……ま!?」
 あまりにも普通の挨拶に、ミタカは更に混乱した。とりあえず、ようやく自由になった己の腕を、畏れ多いとでもいうように引っ込める。
そして、唐突に、勢いよく土下座した。
「た、大変! 大っっっ変、申し訳ありませんでした!!」
「……なにが?」
 寝ぼけているのか、それとも一緒に寝ていたことなど微塵も意に介していないのか、冷静そのもののハックスは不思議そうに問い返す。
 が、今にも気絶しそうなミタカには届かない。
「このミタカ、かくなる上はどのような罰も甘んじて受け──」
「おい」
「切腹も辞さぬ覚悟でおります、こんな不敬で不埒な行為を──」
「ミタカ、おいってば」
 ベッドの上でべったりと土下座したまま動かない──本当ならベッドから飛び降りたいのだが、ハックスがでんと居座っているためそこから動けない──ミタカの袖を、ハックスがたまりかねたように、くいくいと引っぱった。
「寝ぼけていたでは到底済まされ──え?」
「お前、さっきから何一人でテンパってるんだ」
 ようやく顔をあげたミタカに、ハックスが呆れたように言う。
「私が、勝手に夜中に侵入してきたんだぞ? 覚えてないのか?」
「いや、それは、その」
 覚えているような、いないような。
 ミタカは曖昧に口を濁す。さすがに、末っ子と勘違いしていましたとは言えなかった。
「ひどい嵐だっただろう。寝付けなくてな。抜け出してきた」
 フフン、となぜか得意気に笑ったハックスは、あ、でもと思い出したように付け加える。
「お前のところの警備も強化した方が良いな。あれじゃ侵入してくれと言わんばかりだった。──そうだ、まだ野営が続くようなら、いっそ私と同じテントにするか?」
「め、滅相もない!」
 とんでもないことを言い出す。そんなことが周囲に知れたら何と噂されるか。何より、あの男に知れようものなら、本格的に命がない。
「私は分をわきまえております。本来であれば、今日のようなことも、あってはならないのに……」
 ぶんぶんと勢いよく首を横に振るミタカを見、ハックスはふーん、そうかと答えた。少し残念そうに見えたのは、気のせいだろうか。
「……とにかく、邪魔したな。しかし、お蔭で良く眠れた」
 お前の腕は軽くていいなあ、と意味不明のことを言って笑う将軍の顔は、たしかに晴れ晴れとしている。近ごろでは見ないほど健康的だ。言葉のとおり、本当によく寝たのだろう。
 ──ああ、そうか。
 何事もなかったかのように軽やかにテントを去っていく上司の後ろ姿を見送りながら、ミタカははたと気がつく。
 ──ロージャと同じ髪色なんだな。
「あ」
 そうだ。
 今日の「十時のおやつ」には、ロージャの好きな焼き林檎をお出ししてみようか。
 ふと、そんなことを思う。
 少し寝癖のついた赤毛は、しばらく視界の隅でひょこひょこと揺れて、やがて見えなくなった。