ロケットとドッグタグ

「……で、私の願いごとを書け、と」
こめかみをびくびくさせながら、ハックスは絞り出すように言う。そして、レンがうんうんと嬉しそうに頷くのを待たず、机を掌でバシンと叩き、大音声で怒鳴った。
「この!クソ!忙しい!ときに!私に!呪術の!真似事を!しろと!」
ご丁寧に単語ごとに区切り、そのたびに机がバンバンと鳴る。
「呪術じゃない、祭祀だ」
「同じことだろうクソたわけ!」
いかにも不満げに言い返すレンの言葉に、ハックスの堪忍袋の緒がとうとう切れる。ビシリとレンの鼻先に指を突きつけるお決まりのポーズとともに、彼は高らかに告げた。
「出ていけ最高指導者!仕事の邪魔だ!二度と来るな無能上司!」

「……って、怒ってたくせに」
素直じゃない奴だな。レンは内心で呆れる。
文字どおり仕事に忙殺されている恋人の、少しでも気晴らしになれば、と提案したレンの“タナバタ”は、予想どおり彼の逆鱗に触れただけで終わってしまった。
すごすごと退散したレンが自室の前で目にしたのは、先ほどハックスの執務室に置き去りにしてしまった、あの笹の枝ひとふりだった。別に捨ててもよかったのに、と拾い上げると、枝の先になにかが結わえ付けられている。
「なにこれ」
それは、銀の鎖に通された二枚綴りのドッグタグと、小さなロケットだった。ドッグタグには、“A.H.”の文字。
思わずレンの眉根が寄る。それらしいところはないが、あれであの男も軍人だ。イニシャル入りのドッグタグだなんて、縁起でもない。
趣旨がちゃんと伝わっていなかったのだろうか。願いごとを書けと言っただけなのに。不審に思いつつ、今度はロケットを開いた。しかしそこには何も入っておらず、なーんだ、と落胆したレンは、ひそかに自分の写真が現れることを期待していた自分に気づき、赤面する。
──俺もたいがいロマンチストだな。あいつがそんなこと、するわけ……ん?
と、レンの敏感な鼻が、かすかな香りを嗅ぎとった。ロケットからだ。ラム。バニラ。シナモン。ムスク。アンバー。官能的でしっとりとした香りの全体像を把握しようと、懸命に鼻をひくつかせていたレンだったが、その正体に思い当たった瞬間、カッと目を見開いて硬直した。脳裡にある光景が鮮明にフラッシュバックする。

深夜の寝室。乱れたシーツ。己を組み敷く細い男の身体から香る、妖しい芳香。誘発される目眩。
──ぁ……だ、ダメ……駄目だってば……ァ!そのかおり、お、おかしくな……ッ!
──そうか。ならお前を誘うときは、これから毎回この香水つけることにするかな。
──や……ほんとに……ダメだから……ア…ッ
──泣くなよ、昂奮するだろ。

耳許で囁かれた優しく低い含み笑いまで鮮明に思いだしてしまい、レンは思わず、どわあ!と奇声をあげた。慌ててキョロキョロと周囲を見回す。誰にも見られていないことを確認し、はー、と胸をなでおろす。と同時に、笑いが込み上げてきた。なんだよ。誘う気だったなら、あのときそう言えばいいだろうに。
「本当に、素直じゃない」
一人くすくすと笑いながら、もしかしたらこのドッグタグも、彼なりの真情の証なのかもしれない、などと思いつつ、なんの気なしに二枚綴りの一枚目をずらした。
そこに刻まれていた文字が目に入る。
レンの鼓動が、ひときわ大きく跳ねた。

“K.R.”

そこには、間違いようもなく、そう刻まれていた。
ドッグタグは、識別票だ。主に戦場で死んだ兵士の身元確認をするときに使う。
かなえてほしい願いごとを書け、とレンはハックスに言ったのだ。
つまり、それって。
──“死ぬときは、共に”

レンはくるりと踵を返すと、ハックスの部屋めがけて走り出した。
一刻も早く、事実を確認するために。
そしてそれ以上に、意地っ張りな恋人を、この手で力いっぱい抱きしめるために。

〈了〉


← WEB拍手