お題:習慣

「フェル、話がある」
 朝食のガレットを食欲なさげにつついていたハックスがとうとうフォークを放り出し、いつになく真剣な面持ちでそう切り出したとき、ミタカは覚悟を決めた。
「……ポンパドール夫人のことだ」
 やはり。
 思ったとおりだ。
「彼女はもう──駄目だ」
 ああ、とミタカは目をつぶる。
 とうとう、来るべきときが来たのだ。
 夫人は、最近あきらかな衰えを見せていた。
 ここ数日に至っては、ろくに食事を摂らないどころか、こちらが誰だかもわからないような様子だったのだから。
「今朝も、起きてすぐに様子を見てきたんだ。けど、私を見ても、かろうじて目を動かすだけだった。寝床から起きてこようともしない」
「そう、ですか……」
 彼女の老いてたるんだ瞼や、だぶついた顎下の肉を思い浮かべ、ミタカは首を振る。
 ところ構わず金切り声をあげる彼女に困り果て、悩んだあげく納屋に押し込んだのが遠い昔のことのようだ。
 深いため息をつくと、ハックスがハッとしたように顔をあげ、何か言おうと口を開いた。彼の次の台詞を察知したミタカが先手を打つ。
「彼女を捕らえた日から、いずれこうなることはわかっていたはずでしょう。最初から役に立たなかった彼女を、これ以上生かしておくのはリスクですらあります。今さら慈悲を掛けてくれなんて、言いっこなしですよ」
「それは、そうだが……」
 弱々しく目をそらすハックスに、ミタカは静かに、だがきっぱりと言った。
「処理しましょう」
「そんな──!」
「やるのは僕がやります。解体も、その後の……」
「やめろ!それ以上言うな、聞きたくない!」
 悲鳴のような声をあげながら、ハックスが立ち上がる。
「あ、アーミテイジ」
 待って、と制止するミタカを振り切り、ハックスは走り去ってしまった。
 裏口の扉が開き、大きな音を立てて閉まるのが聞こえる。
「まいったな」
 残されたミタカは、頭を掻いてつぶやく。
 食卓には、二人分のガレットと珈琲が、まだ湯気を立てて残されていた。

  けっきょく、その日の昼に、ミタカはやめて殺さないでと泣き叫ぶハックスの腕からミセス・ポンパドールを取り上げた。彼女を絞め、羽をむしり、血抜きし、調理してシチューにした。
夕食までずっとべそべそと泣いていたハックスは、それでも食卓には現れ、皿に盛られた彼女の変わり果てた姿に泣き、一口食べて美味しいと言って更に泣き、それでも美味しいとおかわりまでした。
 すっかり泣き腫らした目で二回も空にした深皿の底をじっと眺めながら「夫人は天国でミスター・ポンパドールに会えただろうか」とつぶやいたハックスに、疲れはてたミタカは「僕たちが食べちゃったから、天国には行けないんじゃないんですかね」と皮肉を言う代わりに「いいかげん家畜にまで敬称を付ける癖をやめてください。捌きにくくなります」と力なく抗議したが、もちろん「他人を呼び捨てにするのは、どうにも習慣として馴染まない」とあっさり拒否された。

 さらに翌日、納屋に出現した鼠にむかって「やあ、ミスター・マクスウェル」と呼びかけるハックスの後ろ姿を見つけるにいたって、ミタカはさすがに主人の正気を疑ったほうが良いのではないかと不安になったという。
 ちなみに、現在にいたるまで、彼の悪癖は改善されていない。