[phelmitage] はたらくふたり

はたらくふたり

 社交と政治は切り離せない。と、偉い人は言う。
 だけど、それが好きかどうかは別の問題だ。と、ミタカは思う。
 たかだか中尉の僕に、きらきらしいカクテル・パーティーでなんの政治をやれと言うのだ。実際、いま僕のやっていることは護衛ですらなく、ドアマンがいいところじゃないか。
 むりやり自分を“お伴”としてこの場に連れてきた上官をうらめしげに睨みながら、ミタカはひとりごちる。
 今やはるか遠くで大勢の権力者に囲まれて歓談の真っ最中の上官──ファースト・オーダーの若き将軍、アーミテイジ・ハックスは、ミタカのことなどすっかり忘れているように見えた。
「あなたも飼い主に忘れられたの?」
 不意に、背後から声をかけられた。
 振り返ると、背の高い女性が立っていた。ヒューマノイドだが、ミタカの倍近く背丈がある。オレンジ色の肌に隈なくほどこされたタトゥーが露出の多いロングドレスのあちこちから覗き、高い上背をさらに誇るように盛られた髪には真珠や宝石が輝いていた。
 高級娼婦だ。
「失礼?」
 自分になんの用が、と戸惑い気味に問い返すと、彼女は微笑んだ。
「さっきから、ずっと同じ人ばかりを見ているから。あなた、将軍と一緒にいらした軍人さんでしょう、ファースト・オーダーの」
 媚びを含んだ色っぽいまなざしとは裏腹に、口調は明けっぴろげで愛嬌がある。見た目よりずっと幼いのかもしれない。
「私の主人パトロンはね、あなたのご主人様に取られちゃった」
 彼女の目線は、将軍のすぐ隣で歓談する男性を示している。浅黒い肌、長い手足、ちぢれた黒髪、エキゾチックな黒い瞳。
 青白い肌に赤毛のハックス将軍と並ぶと対比的な二人の距離は、心なしか他の客より近い。
 思わずぷいと顔を逸らすと、面白そうにこちらを見つめる彼女と視線がぶつかった。
「情けない顔。本当に捨てられちゃったのね」
 おかしそうにころころと笑い声をあげ、彼女は持っていたグラスをぐいとミタカの胸先に突きつける。乱暴な動きに、中身の赤い液体が跳ねた。
「飲んだら?」
「職務中です」
「社交にお酒は必須よ」
「僕、あ、いや、私の務めは護衛ですから」
「ドアマンの働きすらしてないじゃない」
 図星だ。ミタカは答えようと口を開き、口を閉じた。彼女が呆れたような声をあげる。
「そんなに口下手じゃあ、上官の欲しい情報も手に入れられないわよ」
 何も言い返せない。ひたすら困り顔をするばかりのミタカに、娼婦は身を屈め、ぐいと詰め寄った。
「練習よ。拗ねてないで、少しは仕事なさい」
 ミタカの手を取り、強引にグラスを握らせる。
「ほら、魅力的な若い女性を口説いてみて、中尉さん」
 間近に迫った女性の顔に、ミタカは目を白黒させる。
「いや、ですから僕、いえ私は」
 グラスを握らされたのと反対側の手が彼女の胸元に引き寄せられていくのを察知し、ミタカは必死に身を捩らせた。
「あの、仕事が! 仕事がありますので、そういうアレは、その──!」
「中尉」
 逃れようと夢中でもがくミタカの耳に、覚えのある低い声が響いた。
「ミタカ中尉」
「あら、将軍」
 取り繕った彼女の声と同時に、拘束されていた両手が解放される。あわや転げそうになりながらミタカが振り向く。先ほどまではるか彼方で談笑していたはずの上官が、こわばった表情ですぐそこに立ち尽くしていた。
「将軍、これは」
「晴れの場とは言え、少し羽目を外しすぎではないかな、中尉」
 上官の眼差しがミタカを射抜く。
 その温度が氷点下を回っていることに気付き、ミタカは焦った。
「誤解です」
 けれど将軍は聞く耳持たずといった体でミタカを無視した。今や決まり悪げに下を向いている彼女に向き合って、わざとらしく大袈裟に丁寧な態度で言う。
「うちの軍人が大変な無礼を働いたようで。代わってお詫び申し上げます」
「いえ、私こそ出過ぎた真似を」
 気圧されたように娼婦の声はか細く、消え入りそうなほどで、ミタカは少し気の毒になった。
 いや、それどころではない。
 誤解を解かないと。
 焦って将軍を見上げる。
 彼は、鬼のような形相でミタカを見ていた。
「中尉、来い」
「ですから将軍、違うんです」
「口答えする気か」
 その一言でミタカは口を閉じた。
 押し黙って上官に従って会場を後にするあいだじゅう、ミタカの胸中は情けなさと惨めさで破裂しそうだった。

「この、大馬鹿者!」
 会場を去って小さな空き部屋に入るや否や響き渡った大音声の叱責に、直立不動の姿勢でミタカは声を張り上げる。
「申し訳ありません!」
「うるさい、黙れ!」
 ハックスが怒りを爆発させた。
「何がどう馬鹿なのか、わかってないだろう、貴様!」
 ダメだ、ヒステリーを起こしている。
 ミタカは内心絶望する。
 こうなるともう話は聞いてもらえない。けれど、自分からカマをかけた訳ではないことは説明しないと。それに、彼女だって悪意があったわけじゃないことも。
 ミタカは必死に食い下がった。
「将軍、申し上げたいことが」
「ダメだ、申し上げるな!」
 黙れだまれと叫びながら、ハックスはドン、と壁を叩いた。
「貴様、いったい全体何を考えている! 私の目の前で知らん女とイチャつくとは、良い度胸だな!」
「あれは僕から仕掛けたわけじゃ」
「そんなことはわかってる!」
「…………へ?」
 てっきり誤解から自分の不品行をしかられているのだと思っていたのだが。
 ミタカがきょとんとして顔をあげると、ハックスは苦虫を噛み潰したような顔でミタカを睨み付けた。
「お前が自分から女にカマかける訳ないだろう。最初から疑ってない」
「え、じゃあ」
「そうじゃなくて、付け入られるな、と言ってるんだ。隙を作るな。私の弱味になる気か、貴様は」
 腕組みをしながら、ハックスの語気は次第に弱まっていった。珍しく手袋のまま爪を噛む姿に、ミタカは違和感を覚える。
「あの、もしかして」
 この違和感の正体は。
「ヤキモチ、妬いてたんですか……?」
 遠慮がちにそう言うと、ハックスはヒッと小さい悲鳴をあげた。
「な、ばっ、おま、ちが」
 誰が貴様に妬くかバカ、違うわ、不敬罪だぞこうなったら最終的解決するとまくしたてながら、目の前の上官の顔は見る間に真っ赤に染まっていった。
 なんだ。
「僕と一緒でしたか」
 思わずつぶやくと、ハァ?! と眉を跳ね上げて将軍はふたたび怒り狂いはじめた。
「なんでお前が私に嫉妬するんだ、立場を弁えたまえ、えっ何バカなの、そもそも私がミタカに嫉妬するわけ」
「その通りです。申し訳ありません。僕、立場をわきまえずにヤキモチ妬いてしまいました」
 すみません、と姿勢正しく頭を下げると、目をあちこち泳がせながらベラベラ喋っていた将軍は、うう、とひとこえ唸り、ようやく口を閉じた。
「謝罪が軽い」
「はい」
「ちょっと笑ってるだろ」
「いいえ」
 ムスっとした顔でちらちらこちらに視線をやる将軍の決まり悪そうな顔がおかしくて、ミタカは答えながら笑いをこらえ、下を向いた。ほんの一瞬。
「そういうとこだぞ」
「え?」
 顔をあげると、将軍の顔がすぐそばまで迫っていた。
「隙を見せるなと言ったろ」
 そのままがばりと覆い被さる。
「ちょっと、なに考えてるんですか、こんな所で」
 てっきり事に及ぼうとしているのかと焦ったミタカは、ハックスを引き剥がそうとした。
 だが、ハックスはただミタカの首あたりにしがみついたまま、ぐりんぐりんと頭や首ををこすりつけてくるだけだった。
 まるで匂いづけをする動物みたいだ。
「……何、してるんです?」
 半分拍子抜けしたミタカが問いかけるも、上官は答えない。
 思う存分そうやって戯れたハックスが身を離したのは、それからたっぷり3分ほどが経過してからだった。
「嗅いでみろ」
 乱れた髪を直し、身づくろいをしながら満足げにハックスが言う。
 訝しげにミタカは自分の袖口あたりをそっと嗅いだ。
 華やかでふくよかな香りが鼻孔を刺激した。
「そのまま誰かに近づくと、私と同じ匂いだってバレるからな」
「だから何です──あ」
 なおも不審そうなミタカは、途中で何が気がついたように声をあげる。
「誰もいない部屋にしけこんでた上官と下士官。出てきたら士官からは上官と同じ匂いが……」
 さて、下世話な皆さんは何を想像するでしょうか?
 歌うように口にした上官の顔には、嬉しそうな笑みが浮かんでいた。
「ちょ、ちょっと!」
「だからお前、もう誰にも近づくなよ」
「不可能ですよ、そんなこと」
「なんで。簡単だろ。誰か近づいてきたら全力で遠くに逃げればいいだけだ」
「それじゃ護衛も務まらないでしょう! 僕が何のために」
「パーティー会場じゃドアマン以下のはたらきしかしないくせに」
「!」
 ついムッとしたミタカの顔に、ハックスは笑い声をあげる。
「いっそのこと抜け出すか?」
「それはいけません。……お仕事してください、真面目に」
「えらいなあ、フェルは」
「こういう所でその名前は呼ばない約束でしょう」
「はいはーい」
 堅物なんだからなお前はとボヤく将軍は、それでも中尉がどうあっても遊んでくれないらしいと察した途端、あっさりと身を翻してドアに向かって歩き始めた。
「二度と至近距離に生物を寄せるんじゃないぞ、中尉」
 ハックスはそう言い、部屋から退場する寸前、ドアの隙間からさっと流し目をくれた。さっきの娼婦よりも何千倍もコケティッシュだな、とぼんやり思う自分の襟元からは、上司の艶やかな匂い。
 ばたりと閉まるドアを眺めながら、ドアマンのほうがよっぽど楽だ、とミタカは肩を落とした。
 社交の夜は、まだまだ終わりそうになかった。


(了)



今さらですが、そして古いお付き合いの方はご存知のこととは思いますが、うちの将軍は香水(と毒物)のコレクーという設定が大昔からあったりします……。
以上、いまさら解説でした。