燃える脚の寝室-Interlude

 護衛とは体の良い言い訳で、要するに憂さ晴らしの連れに選ばれたのか。
 なにやら言う、今をときめく劇作家の芝居、その新作上演に、将軍護衛の名目で連れ出されたレンは、壁の華どころか染みと化しているわが身を呪った。
 芝居自体は、それでも面白かった。塔に棲む妖怪の女が、不遇な鷹匠に一目惚れする物語。
 しかし、嘘のすべてが幕の後ろに消えたあとに待ち受けるのは、結局のところいつもの華美な空間、きらびやかな夜会服、麗々しい社交の空言。
 偽の光の洪水に溺れそうになるレンを置き去りにし、情人は颯爽と仮面を纏い、欲の渦へと身を投じて行った。
 今、あちらで無数の笑みに囲まれて談笑するあの男は、俺の知らない彼だ。笑顔の下に巧みに隠した刃で獲物を狩る。
 ここが彼の戦場なのだ。
 終幕後、面白いものだなと素直に告げたとき、そうか、お前もこれを愉しいと思うか、と浮かべたわずかばかりのあの微笑みが、今宵彼が見せる最後の真情になりそうだ、とレンは首を振った。
 ──俺には、とてもできない闘い方だ。
 感心とも侮蔑ともつかぬ賛辞を、酒を片手に押し寄せる有象無象を華麗にさばく彼に、心密かに送っていると、
「アーミテイジ君」
輪の外から、大きな声を掛ける者があった。目を向ければ、老人だ。八十は優に超えているか。歩き方から、すぐに軍人と知れた。
「……これは。お懐かしい」
 老人を認め、彼は満面の笑みを浮かべる。その目が宿した仄昏い翳りを、レンは見逃さない。
「いや、なんと。こんな所で。父君にそっくりだ、特にその声」
 いかにも嬉しげに太鼓腹を揺する老人と、彼はすぐに懇意に話し込み始めた。こちらに背を向けたために唇は読めないが、長く益体のない昔話が始まったことは、見ずとも知れた。
 また今夜も鬱憤を溜め込んでのご帰還になるか、宿の部屋で荒れ狂う彼をどう宥めたものか、などと高見の見物を決め込んでいると、ひときわ大きな声で、彼が言うのが聞こえた。
「そんなご大層なものでは。せいぜいが放蕩息子の帰還といったところです。ねえ、そうでしょう?」
「たしかに、君の趣味人ぶりには驚かされる」
 いったい何時からそこにいたのか。不意に彼の背後から、肩を抱くようにして男が現れた。
 歳は彼とそう大して違わない。長髪にすらりとした体躯、いかにも金の掛かった服装、洗練された身のこなし。わざとらしくない馴れ馴れしさは、近しい友か、少なくとも旧知の間柄か。
 だが、ほんの一瞬、その肩に置かれた手の動きに、レンは目を細めた。通常よりもわずかだけ長い時間。触れ方が、生臭い。
 ──成る程、あれが今のパトロンか。
 面白くもない。
 彼が父の話題を嫌うことを知り、騎士気取りで駆け付けたのか。ただの金蔓が、よくやる。
「これであのファースト・オーダーの将というのだから、世の中はわかりません。まったく、今も誰の首をご所望でいることやら」
 頼まれもしないのに、ぺらぺらと良く喋ることだ。おお、恐ろしい、とふざける男の痛ましさに寒気がした。見ていられずに目を逸らす。しかし、彼は乗った。
「“ヨカナーンの首をくださいまし”」
 放蕩息子、そして首、とかけたものか、お道化て淫らな女を演じる。露悪が過ぎる。
「“あれの望むものを与えよ!さすが、あの母にしてあの子ありだ!”」
 長髪も、よりにもよって下衆な受け台詞を選んだものだ。レンは舌打ちをした。出生にまつわる諧謔のつもりか、そうならまったく笑えない。だが、自棄のように彼は笑った。その快活さに、胸が疼いた。笑うな。お前は、そんなんじゃないだろう。
 悪酔いでもしているかのようにさざめく二人の若者に、老人は戸惑う。
「……君は、ずいぶんと」
「おや。お芝居はお嫌いですか」
「なんと言うのかね、お父君とは……」
「違うでしょうね。父は、無駄も華美も、そして『男らしくないこと』も、嫌悪していました。ならば──彼と、話が合うかもしれません」
 それまで一顧だにしなかったレンを、急に見遣る。
 思わぬ飛び火に、レンはただ眉を上げるほかなかった。
「生粋の軍人です。彼も余興は嫌う。私の護衛につかされ、今頃退屈しているはずです。なあ、レン?」
「おい、アーミテイジ。騎士団長になんてことを──」
 長髪も、さすがにまずいと慌てたように彼の袖を引いた。その様子が滑稽であると同時に、彼との関係に土足で割り込まれたような不快さを覚え、レンは思わずこう口にしていた。
「“姫君、何処においでなさいます。”」
 良く通る声だった。先ほどの芝居の台詞だ。元々暗記は得意だ。たった一度の見物で覚えてしまった。物語に登場する妖美で幸薄い物怪女に、レンは情人を重ねて見た。気に入ったのも、そのせいかもしれない。
 ──首を求めるなら、彼は断然こちらだ。
 長髪が面食らったように眉を寄せる。それが愉快で、興が乗った。さらに続けた。
「“私は目が見えなくなりました。姫君”」
 外野は無視した。
 挑発するように、ひたと彼を見据える。
 ほう、と彼の口もとがゆるんだ。皮肉げなそれではなかった。
 彼が応える。
「“獅子が両目を傷つけられました。この精霊で活きましたものは、一人も見えなくなりました。図書様、……何処に”」
 しおらしくして見せる仕種は、驚くほど堂に入り、また似つかわしかった。
「“姫君、何処に。”」
 人混みをかきわけ、互いに“何処に”と呼び交わしながら、近づく。それにつれて場の人々のざわめきがやみ、面白そうに注視し出した。
 しまった、と思ったが、最早やめるわけにも行かない。
「“姫君、あなたのお手に掛けてください。”」
 やがて彼の許に辿り着き、己が命を奪えと掻き口説く。細い腕を、さりげなく長髪から奪い取った。いい気味だった。
「“ええ、人手には掛けますまい。そのかわり私も生きてはおりません、お天守の塵、煤ともなれ、落葉になって朽ちましょう”」
「“真実のお声か、姫君。”」
「“ええ、何の。──そうおっしゃる、お顔が見たい、唯一目。”」
 本当に盲いたかのように、彼はレンにされるがまま、弱々しげに凭れ掛かる。
 儚げな身体の線が、一瞬、夫を殺された怨みで妖怪と成り果てた、憐れな女に重なった。
「“……千歳百歳に唯一度、たった一度の恋だのに。”」
 頼りなげに伸ばされた腕が、掌が、指が、レンの面を、す、と撫ぜる。
 あたりが水を打ったように静まりかえった。
 すぐに、割れんばかり喝采。
 途端、離すまいとばかりに取り縋っていたレンの胸を突き放し、彼はあっけらかんと大きくお辞儀を返した。
「今宵生まれた新たな傑作に、敬意を表して」
 華やかに笑ってみせる取り澄ました顔に、恋に狂った妖の面影は、最早ない。それこそ怪のように、幻と消えてしまった。
「驚いた」
「騎士団長も。お人が悪い」
 口々に発せられる称揚に、すぐに気分が悪くなる。後悔の波が襲うが、驚くほどの怪力で隣に立つ赤毛の男が腕を離さない。目顔だけで、ここに居ろ、離れるな、せめてしゃんと立て、と叱りつけてくる。
「これは、何とも」
 間近で見ていた先ほどの老人は、目を白黒させながらの困り顔だ。
「言ったでしょう、私は放蕩息子だ、と」
 食えない顔でそう朗らかに笑うと、彼は強引にレンの腕を引っ張り、人の輪のただ中から鮮やかに撤退した。
 ただ、憮然とした長髪の脇を通りすぎるときだけ、妖艶な流し目とともにすれ違いざま何かを囁いたのを、レンはやはり見逃さなかった。
 唇は「あとで」と動いた。

 潮時とばかりに引き上げる彼らの姿を、会場の片隅から凝と見詰めていた一つの影がいた。レンも気づかなかった。
 その男の目は、信仰とさえ言えそうな熱狂をもって、ただ一人に注がれていた。
アーミテイジ・ハックス、その人に。


(幕間・了)


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<引用>
・「サロメ」『サロメ・ウィンダミア卿夫人の扇』(O・ワイルド作、西村孝次訳、新潮文庫)
・「天守物語」『夜叉ヶ池・天守物語』(泉鏡花作、岩波文庫)


もはや恒例になりつつある、「inspired by とうふさん」です。


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