美味しいパンのつくりかた

「ミタカ……」
 情けなく眉をハの字に下げたハックスが、何か言おうと口を開けたが、それよりもはやくグゥと腹が鳴った。
「おなか、減っちゃいましたね」
「……うん……」
「なにも食べてないですもんね……」
「……すまん……」
 二人が、この何もない砂丘群で立ち往生して、1時間が経過している。
 それというのもハックスが、視察に出た星で久々の無調整重力にテンションが上がってしまい、乗れもしないのにスピーダー・レースに参加したあげく、調子に乗って派手にコースアウトして放り出されたせいなのだが。
 さいわいにも、後部座席にはミタカが同乗していたし、二人のベルトにはトラッカーも付いている。郊外とはいっても観光地がほど近い都会だ。すぐに迎えのセール・バージを寄越すと、すでに警護部から連絡が入っていた。
 ただし、その場所にたどり着くまでには、あと2時間は掛かる、とも。
 絶妙に向かいにくい場所に不時着してしまったらしい。
 見渡すかぎり砂しかない不毛の地で、ミタカはとりあえず壊れたスピーダーの部品と自分の制服の上着を使って、簡易パラソルを作った。
 真昼の最高位を少し回った高さの太陽は、それでもまだまだ元気よく照っている。
 この星の日の入りは、たしか共通時間の午後7時をまわった頃だった、と事前に調べていたデータを必死に思い出しながら、ミタカは少しだけ焦った。
 上司は、暑さにも太陽の光にも異常に弱い。
 こんな炎天下にさらしたら、あっという間に溶けて縮んでしまうと、本気で心配していたのだ。
 いま隣で悄然と体育座りをする上司を、横目でそっと窺う。
 さっきまでとは打って変わって、横暴な将軍はしょんぼりとしょげ返って、いじいじとつま先で砂に何かを描いていた。
 切羽詰まった状況でないとは言え、ほとんど砂漠とさえ言える場所に、こんなふうにぽつんと二人だけ取り残されれば、心細くもなろう。
 ミタカは励ますように、努めて明るい声を出した。
「水はたっぷりありますし、あとちょっと我慢すれば、美味しい夕ご飯にありつけますって」
 しかし、その言葉に上司はさらに項垂れる。
「本当にすまん……私が、飯はアイスで充分とか言ったから……。お前、本当はすごく腹減ってたよな……なのに私は、自分のことだけ……」
 こともあろうに上司の落ち込みの原因が自分への罪悪感だと知って、ミタカは動揺のあまり両手をわさわさと振って否定した。
「私はまったく平気です!演習で食事を抜く訓練もしておりますし、そもそも我々はレーションを携帯して──あ」
 そこまで言って、ミタカはぽかんと口を開ける。そして、急にわたわたと壊れたスピーダーの荷台や自分のバッグパックを探り始めた。
 とつぜん一心不乱に何かを探しはじめたミタカを、ハックスはきょとんとして見ていた。
 やがて、やっぱりあったあと歓声を上げながら、ミタカがスピーダーから戻ってくる。
「レース前の説明で、緊急用食糧もいちおう積んであるって言ってた気がしたんですよ。ほら」
 そう言った彼の手に握られているのが、ポーション・パンの製造キットだということに気づき、ハックスは反射的にうっと呻いた。
 何故なら彼は──というか、おそらくこの銀河で生きる、ある程度生活に余裕のある者なら誰でもが──このポーション・パンがかなり苦手だったからだ。実際、パンは餓死寸前までは口にしたくない位には、不味い。
「食べましょう」
 にこっと笑うミタカに、ハックスはうう、と口ごもる。
「あ……うん……そ、その」
 自分のせいで苦境に陥っているという罪悪感から、嫌だとはストレートに言い出せないものの、その目は明らかに拒絶の色を示している。なんとかうまい言い訳はないものかとでも言いたげに、あちらこちらに目を泳がせる上司に、ミタカは苦笑した。
「大丈夫ですって。ちゃんと、将軍でも召し上がれるくらいには美味しいご飯を作りますから」
「“作る”?どうやって」
 現金にも「美味しいご飯」のフレーズには反応するハックスを、ミタカは孫を見る老人のような目で眺める。そして、すこし秘密めかして声を落とした。
「ファースト・オーダー兵に代々伝わる裏技です」
 悪戯っぽい笑みを浮かべる。さらに自分のバッグパックを探り、彼は小さな黒い箱を取り出した。表面にオーダーの赤い印が刻印されたそれは、兵士に支給される緊急用ボックスだ。
「レーションにも種類があるの、ご存知です?」
 言いながら、色とりどりの携帯戦闘食のパックのなかから、いくつかを選び取る。
「通常、市場で流通してるポーション・パンはまずいでしょ」
 次々に封を切り、バー状の携帯食を器用に親指と人差し指を使って細かく砕いていく。
「でもね、我々に支給されてるファースト・オーダー製のレーション・バー、これがなかなか質が良くて」
 砕かれたレーションが、ポーションのカップに投入される。
「ある組み合わせで、決まった量を加えるだけで──」
 あとは通常のように水を加え、「私の指ですけど、お許しください」と言いながら軽くかき混ぜた。
 ぽいん、とカップからパン生地が盛り上がる。
「あ、白い」
 通常のポーション・パンは緑だが、ミタカが“裏技”を使って出来上がったそれは、やわらかいクリーム色をしていた。
「ちょっと待ってください。まだあります」
 そういって、さらにボックスを探る。
 ミタカが取り出したのは、乾燥肉だった。
「これを挟んで。そして、仕上げに──」
「そ、ソース?そんなものまで支給されるのか、わが軍は?!」
 予想どおりの、というか、予想以上に頓狂な声を上げるハックスに、ミタカは噴き出す。
「これは私の持ち込み品です。兵士は大抵、お気に入りのスパイスのひとつやふたつ、ボックスに忍ばせてますよ。戦闘食ばっかり食べてたら発狂するぞって脅されるくらいで──はい、どうぞ」
 目の前に差し出された、簡素な即席バーガーを、ハックスはそっと受け取った。
 自分用にもう一つ作り始めたミタカの横で、ハックスは何度も物珍しげに、そのインスタントな食べ物をひっくり返してはしげしげと観察する。
 やがて、覚悟を決めたような顔をして、彼は小さくそれにかぶりついた。
「……ん!」
 ハックスの口から、肯定的で明るいトーンの声が漏れ、ミタカは笑み崩れた。
「意外とイケるでしょう?兵士の即席グルメ」
「んんー!」
 すぐに出来上がった自分のレーション・バーガーに自身もかぶりつきながら、ミタカはハックスを見遣る。
 上司は、部下にまともな返事をすることも忘れて、はぐはぐと夢中でほおばっていた。
 しばらくのあいだ、二人は無言で黙々と食べた。
「ああ……美味しかった……」
 お手軽パンを一気に食い尽くし、お約束のように口の端にパンの欠片をつけたハックスが、やがて満足げにそうつぶやく。
 ミタカから手渡されたボトルから、ごくごくと喉を鳴らして水を飲み、ぷはーと幸せそうにため息をつく。
「すごいな、ミタカ」
「私が考えたんじゃありません。現場で培われた、先人の知恵です」
 ミタカはにこにこと答える。主人の腹がくちくなったのが、何にもまして彼には嬉しくてならない。
「それに、お腹がすいてたからっていうのが、一番大きいと思います。普段の将軍なら、そっぽ向かれてましたよ、きっと」
 空腹は最高のスパイスって言いますから、と言いながら、失礼、と当たり前のように腕を伸ばして、上司の口元についたパン屑を拭う。
「そうかなあ」
「そうですって。何なら、基地に帰ってからまた作ってさしあげましょうか。作り方も一緒に」
「あ、知りたい。教えてくれるか?配分とか、組み合わせとか」
「もちろんです」
 この赤のバーと、あと……とミタカが解説を始めたとき、遠くから重い汽笛のような音が辺り一帯を震わせた。
 続いて、唸るような低い船のエンジン音。
 ミタカが顔を上げる。
「クラフトが到着したようですね」
 立ち上がって確認するまでもなく、砂だらけの地平線から、ファースト・オーダーの黒いセール・バージが姿を現した。
「意外と早かったな──おおい!ここだ!」
 大きく手を振るミタカに応えるように、小さく見えていた船が、みるみるうちに接近してくる。
「これで一安心です。お疲れでしょう、帰ったらすぐにお茶を用意しますね。あとお風呂の準備も……」
 ぶつぶつ唱えながら周囲を片づけ始めたミタカをぼうっと眺めていたハックスは、やがてぽつりとつぶやいた。
「でも、私はやっぱり違うと思う」
「何がです?」
 パラソルを解体しながら、ミタカが振り返る。
 船から、数艇のスピーダーがこちらに向かうのが見えた。
「ミタカが作ってくれたから、美味しかったんだと思うんだ」
「え」
「将軍!」
「将軍、ご無事で!」
 ミタカが詳しく聞き返す暇もなく、到着したスピーダーからどやどやと大量のトルーパーたちが降り立った。
 あっという間に取り囲まれた将軍は、急にきりりとした顔立ちになると、迷惑をかけた、スピーダーの整備不良で、などともっともらしい口から出まかせを並べ始める。
 そして、振り返りもせずに、さっさと船に乗ってしまった。
「……え?」
「何をしている、ミタカ中尉!置いていくぞ!」
 動けなくなったミタカに、鋭い叱咤の声が飛んだ。
「……あ、は、はい!ただいま!」
 我に返り、弾かれたようにミタカが走り出す。

 太陽は、もうだいぶ低い位置まで移動している。
 後には、残されたスピーダーの残骸が、白茶けた砂に、長くくっきりとした影を落としていた。

(了)


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