魔女と下僕(WEB公開版)


 夕飯の食卓を囲みながら、母が「あ」という声を上げるのを、チックは嫌な予感とともに受け止めた。
「おじいちゃんの胃の薬が、もうないんだった」
「あたしが貰って来ようか」
 五つ上の姉がすかさず言う。普段はなんでもチックに押し付けるくせに、“魔女”の家に行ける用事となると人が変わったようにお使いを買って出る。
「あんたはいいの。占いなんかにハマって、まったく」
「占いじゃない、セラピーだもん」
「同じよ。あんまり魔女に入れ込むようなら、小遣い減らすからね」
「なにそれ、最低!」
 姉には好きな人がいる。同じ学年のステファンだ。彼と両想いになるためなら、姉はきっと小遣いどころかこの家の少ない有り金、すべてつぎ込んでしまいかねない。
 ニヤニヤ笑っていると、姉の鉄拳が飛んできた。
「痛て!何すんだよ」
 次なる一撃をすんでのところでかわしつつ、チックは抗議する。
「俺はなんにも言ってないだろ!」
「ばーか」
「やめなさいシエラ!」
 べえと舌を出した姉を、母の一喝が止める。
「ねえチック、悪いんだけど、夕飯終わったら行ってきてくれない?」
 ほら、来た。
 チックはぐるりと目を回してみせた。大げさに項垂れてみせながら、いかにもうんざりした声を作ってごねてみる。
「なんで俺が。姉ちゃんが行きたいってんなら、行けばいいだろ」
「女の子には時間が遅すぎるのよ、ねえ、お願い──」
「やめておけ」
 それまで黙っていた父が、唐突に口を開いた。
「あんな怪しい奴らの処方する薬なんぞ、何が入っているか知れたもんじゃない」
 今度は母がぐるりと目を回した。呆れたように言う。
「まだそんなこと言ってるの。効くのは確かじゃない。あの人たちだって、別に悪い人じゃ……」
「は、悪人てのは、悪人っぽく見えないから悪人なんだ」
 村はずれの崩れかけた屋敷に、“魔女と下僕”と呼ばれる二人組が越してきたのは一年ほど前だ。
 魔女とは言っても、そう呼ばれはじめたのは最近だし、二人とも男性だ。どちらも四十代くらいで、それなりに見目麗しい。が、どこか影があるのも事実だった。
 二人が住み始めた屋敷は、かつて凄惨な殺人があった場所だ。村では誰も近寄らない。そんな場所に住むなんてどんな変人かと、当初は静かな騒ぎになった。
 やれ逃走中の殺人犯だの、手配中のテロリストだの、落ちぶれたカジノ王だ、スキャンダルで消えた元ポルノスターだなんて噂すらあった。
 が、蓋を開けてみれば、二人はとても礼儀正しく、物静かで感じの良い、「普通の人」だった。
 細々と菜園や養鶏をしながら自給自足に近い暮らしを営んでいる。たまに日用品を買ったり、卵を売りにくる以外はあまり村にも下りてこない。
 半年ほど前からは、薬草を煎じた薬や、よく眠れるお茶、良い香りの香油なども商うようになった。刺激の少ない村に暮らす少女たちの格好の話題となり、誰からともなく“魔女”と呼ばれ始めた。もう一人の男は、召使いのようだから“下僕”。
 そんな怪しげな商売、とはじめのうちこそ警戒していた村人たちだったが、遠回しに調査に向かう彼らをも二人は丁寧にもてなし、ときに製法をあっさりと明かしもすることから、やがてこの新たな住人を問題にする者は、少しずつ減っていった。
 魔女という揶揄含みの呼び名は残ったものの、村と一定の距離を置いてひっそりと暮らす彼らを、村人たちもそれなりに受け入れたのだ。
 とは言え、警戒を解かない者もいる。
 チックの父のように。
「大体、“魔女”なんて持ち上げるからいけねえんだ」
 魔女ウィッチというよりあばずれビッチだろ、と父がせせら笑う。
「俺に言わせりゃ、ありゃあ夫婦だ。男夫婦。マトモじゃねえよ」
「バーニッシュ!」
 母の咎めるような声と、父の下品な笑い声が重なる。母が父を“前世紀の遺物みたいな価値観”と非難し、父が母を“お高く止まった理想主義者”と揶揄し、おなじみのじゃれ合いとも罵り合いともつかない口喧嘩に移っていった。
 姉がうんざりしたような顔で食卓を去るの見送ったあと、チックも立ち上がる。
「じゃあ、行ってくる」
 頼んだわよ、という母の声を背中で聞きながら、チックは家のドアを閉めた。

§

 石を積み上げた壁をなかば植物に埋もれさせながら、“魔女”の家は今にも崩れそうに暗闇にうずくまっていた。
 木造りの古ぼけた扉には、古式ゆかしい黒鉄の錠が下りている。ドアのすぐわきの壁に、小さな外灯が揺れていた。
 いくら魔女がただのあだ名だとわかっていても、チックは心のどこかで彼らの存在におびえていた。正体についての悪い噂も学校でたくさん聞いたし、なにより占いが当たるんだと入れあげる姉のはしゃぎっぷりが気味悪かった。
 「close」と書かれた札をしばらく見つめる。
 やがてチックは、覚悟を決めたようにノッカーに手を伸ばす。
 ノッカーを持ち上げて叩きつける直前、キイイとドアが開いた。
「なにか、御用かな」
「うわあ!」
 開かれると同時に家の中から聞こえた穏やかな声に、チックは思わずのけぞって悲鳴をあげる。
「おや、君はたしか、シエラさんの」
 やがてひょこりと覗いた顔は、チックを見るなり親し気に微笑んだ。
 魔女ではない。下僕の方だ。
「あ、あ、あの、い、胃薬、じいちゃん、薬を」
 驚きすぎたチックが、支離滅裂な単語をつぶやくと、“下僕”は、ああ、と微笑んだ。
「フェル、客か」
 不意に、家の奥から良く響く低い声が聞こえた。
 ──魔女だ!
 チックの身体が強張る。
「ええ。シエラさんのところの弟さんが。お祖父さまの胃薬が欲しいんだとか」
 魔女の声に返事をしつつ、フェルと呼ばれた下僕は家のドアを大きく開いた。柔らかな光がいっせいに外に漏れ出す。
「とにかく、お入り」

§

 通された家は、至る所に薬草が吊り下げられていた。
 チックが叩いたドアは店舗側だったらしく、入ってすぐのところには小さなカウンターがしつらえてあった。その向こうにずらりと液体のはいった壜や、茶葉を詰めた箱が並べられている。ちょっとした雑貨店グローサリーのようだとチックが感心して眺めていると、左手の通路の奥から、長身の男が現れた。
 “魔女”だ。
 ひょろりと背が高く、抜けるように白い肌をしている。赤毛はぼさぼさと長く、髭ももしゃもしゃだった。にも関わらず妙に中性的なのは、睫毛が長いせいだろうか。それとも、物腰そのもののせいだろうか。
 ぼんやりそんなことを考えていると、不意に別方向から声が問いかけた。
「君は、たしかチック君だよね」
 フェルと呼ばれた“下僕”だ。
 歳はおそらく魔女と同じか、それより下。短く切り詰めた黒髪に、黒縁の眼鏡をかけている。魔女よりも背が低い。
「なんで」
 知ってるんですか、と言おうとして、姉の憎たらしい顔がよぎる。
「ええ、まあ」
 渋々頷くと、フェルは柔和そうな顔で頷いた。
「胃薬だったな」
 突然、魔女がこちらを見もせず、なにか書付を繰りながら言った。
「は、はい」
「カミツレのやつか、ならば此処に」
 チックの答えに返事もせず、魔女はブツブツつぶやきながら、カウンターの棚をひっかきまわす。やがて白い薬包をいくつか取り出し、束ねて無造作に紙袋に放り込む。
 そこでふと、魔女は眉根を寄せた。
「“じいちゃん”──失礼だが、先月もこの薬を求めに来た方か?」
 面喰いながらもそうだと答えると、彼の眉間の皴は深くなった。
「君は薬がもうなくなった、と言ったな。すべてお祖父さまが使われたのかな?」
「そうです」
「ふむ」
 魔女は考え込むように顎に手を当てる。
「減りが早すぎるな……。一度、きちんと町の医者に行ったほうが良い」
 最後の言葉はチックに向けられていた。
 驚いているチックを、魔女はじっと見つめた。緑とも青ともつかない、不思議な色をした瞳だった。
「余計なお世話かとも思うが、私は正式な医者じゃない、いわば呪術師ウィッチ・ドクターみたいなものだ。できるのは、せいぜいが炎症を抑えること。根本的な治療じゃない。わかるな?」
「あ……は、はい」
 魔女の言葉は明晰で淀みがなかった。しどろもどろにチックが頷くと、彼はそこで初めて小さく微笑んだ。
 その微笑みはやさしげだが、どこか冷たいものを感じさせ、チックはすこしだけゾクリとする。
「今日の料金は不要だ。それよりも早急に医者に行くほうが、お祖父さまには良いはずだ。──待っていたまえ」
 店の奥に引っ込み、すぐに戻ってきた彼の手には、なにやら書きつけのされた紙が握られていた。
「初めて診療に訪れたときの状態と、その後の薬を渡した回数の記録だ。これを見せれば、参考程度にはなるだろう。それと」
 茶封筒に書類を折り畳んで入れながら、矢継ぎ早に小さな壜を見せる。
「これは安眠を助ける精油だ。気休め程度だが、気休めにはなる」
 薬と書類と小壜、それらをひとまとめに袋に放り込み、彼はチックのすぐそばまでやってきた。
「ほら。持って帰りなさい」
 チックは黙って差し出された袋を見つめる。
 たしかに、この薬に支払ってしまったら、祖父が町医者にかかるのはさらに先にはなる。だが。
「お金はちゃんと払わないといけないって、親父が……」
 こんなに沢山のものを、ただの好意でくれるものなのだろうか。
 もし彼が本当に悪い魔女だったら、あとから大きな代償を要求されるのではないか──。
 そんな子供っぽい危惧におののき、チックが差し出された袋を受け取りあぐねていると、魔女はきょとんとしたのち、快活に笑った。
「成程。タダより高いものはない、その通りだ。ならば──お祖父さまの容態がわかりしだい、私のところに報告に来てくれないか。そのときに、君の母上が作ったブルーベリー・パイの二切れでも分けて貰えたら、助かる」
「え?」
 あまりにも突飛な提案に、チックはあぜんとする。と、それまで黙って成り行きを見ていたフェルが、堪えかねたように噴き出した。
「こら、笑うな」
 くすくすと笑う下僕に、魔女は心外そうな顔を向けた。魔女を無視して、フェルはチックにウィンクしてみせた。
「彼は、あのパイがお気に入りなんです。初めて頂いたときは、僕の分まで食べてしまったくらいにね」
「おい、フェル!」
 魔女が慌てたように両手を上げたが、フェルは黙らなかった。
「本当のことじゃないですか。しかも、次の日も、あれは美味しかった、お前作れって騒いで。僕は食べてないから、作れないって言ってるのに」
 そこまで来てようやく、チックは二人が話題にしているのが、祖父が初めて胃痛を起こし、この店に担ぎ込まれたときに、その礼として母が持って行ったパイのことを言っているのだと気づく。
 急に力が抜けた。
 下僕の分までパイを食べてしまったことを暴露され、真っ赤になって怒り続けている魔女の姿は、あまりにも人間味に溢れていた。チックは、さっきまで彼を警戒していたことがバカバカしくなってきた。
 ──なんだ。彼も、ただの人間じゃないか。
 おそらく、ちょっと人付き合いが下手なだけの変人なのだろう。
 おかしそうに笑い続けるフェルに、魔女は猛然と抗議する。
「人聞きが悪いことを言うな。お、お前の分も、少しは残してただろう?!」
「ええ、ほんの一口だけね。──とにかく、その方が良いと、僕も思います」
 まだ何か喚いている魔女をハイハイといなしながら、フェルは話を打ち切ってチックのほうをまっすぐ見た。
「どうかな、チック君?」
 優しそうな檜皮色の目が微笑む。
 ──この人たちは、良い人たちだ。
 不意にチックはそう悟る。
 ──信用しよう。
 一瞬、姉が「当然でしょ」と呆れた顔をするのが、頭の隅をよぎった。

§

 もう遅いから送って行こうかというフェルの提案を辞退して、チックは家への道を急いだ。
 手渡された布袋をにぎりしめる。
 ──すごく、良い人たちだったな。
 この家に入る前の、自分の怯えようを思い出し、チックはひとり苦笑した。

 じつは数か月前、姉が魔女の占いにはまっていると知ったチックは、級友たちとこっそりあの家を「偵察」しに行ったことがあった。
 一緒に行った友人数名と、屋敷裏手の森に潜んでいたとき、仲間の一人であるレオンが秘密めかして言った台詞を、チックは今でもまざまざと思い出すことができる。
「知ってるか?“魔女”は、本当は元ファースト・オーダーの敗残兵だって噂もあるんだぜ」
 ファースト・オーダー。
 その言葉は、チックたちには何よりも恐ろしく、禍々しく響いた。
 この村の貧しさは、ファースト・オーダーの長きにわたる圧政が原因だと、大人たちからは散々聞かされていた。彼らの恐ろしい仕打ちの数々も。だからこの村の人間は、『最後の戦い』でそのほとんどがレジスタンスに参加した。それが誇りだ。
 もしも本当にファースト・オーダーの残党なら、この手で家を焼くくらいのことをしなければ。
 あの日、チックたちはそんなふうにしょい込んでいた。

 しかし、どうだろう。
 実際の“魔女”はただの変人で、“下僕”に至っては学校の先生でもやっていそうなほど柔和な好人物だったではないか。父の言うような関係なのかはわからないが、二人はとても仲がよさそうで、チックはそこにも好感を抱いた。
 だいたい、ファースト・オーダーの頭領は、ケダモノだらけの惑星・・・・・・・・・・に追放された、とニュースで言っていたのだ。
 こんな長閑な村に、いるわけがない。
 ──むやみに人を疑うもんじゃないな。
 帰ったら、父にも強く言って聞かせなければ。
 得意げに加勢してくるであろう姉の顔を思い浮かべながら、チックは見えてきた我が家の明かりに向けて、足を早めた。

(了)


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