[phelmitage] もっとはたらくふたり

もっとはたらくふたり

 なんでこんなことに。
 質素な宿の一室に通されたミタカは、人知れずため息をつく。
 そんな彼を見てみぬふりで、部屋まで案内してきた宿の女主人はミタカににっこりと微笑みかけた。年老いた顔に塗りたくった粉白粉が、顔中に広がる細かな皺にめり込んでいるのが見えた。
「それでは、ごゆっくり」
 なにやら含みのある笑いを張り付かせ、老婆はしずかに部屋のドアを閉めた。
 もう一度、大きな息を吐き、ミタカは通された部屋をぐるりと見回した。
 粗末な木の壁、木の床。部屋の広さに不釣り合いなほど大きなベッドが一台、中央に据えてある。そのほかには、そっけない衣装ダンスがあるだけの、簡易な宿。
 今いる部屋は二階の廊下いちばん奥に位置するはずだが、階下の酒場の喧騒は、ドアを閉じてもかすかに届いた。
 元々遊ぶことをしてこなかったミタカは、こういう盛り場の宿には慣れていない。ましてや、その宿に売春斡旋の嫌疑がかかっているから調査してこいなどと言われても、何をどうしたらいいかわからなかった。自分の仕事とも思えず、いまだ任務には納得できていないのだが、もとより組織のトップ、というか、まあ要するに将軍直々の命令なのだから拒否権はなかった。
 嫌な予感がするんだよなぁ。
 ミタカは自分一人しかいない空間を所在なげに見回しながら考える。
 なんせ昨日の今日だ。
 昨日、ミタカは将軍のお供として、チャリティーだかなんだかの騒がしいパーティーに列席させられた。それだけでも不本意だったのに、高級娼婦と仲良くしていたといういちゃもんが上司から寄せられて往生した。帰りの車でも散々嫌味を言われた。怒っているくせに、やけに素っ気なく、てっきりそのまま将軍の部屋に呼び出されて朝までコースかと思っていたのに、すげなく自室に帰された。
 そして、翌日のこの唐突な「任務」である。ゆうべのゴタゴタが引き金になっているのは間違いない。
 どうせまた妙な悪巧みをしているのだろうが、中尉という地位だってけっして暇ではない。将軍のヤキモチとも揶揄いともつかないお遊びで予定を狂わされるのは困る──。
 ベッドに腰かけて愚痴愚痴と胸のうちでぼやいていたミタカの耳に、トントン、と遠慮がちなノックが響いた。
 はい、と答える前に扉が開く。長身のシルエットがするりと滑り込み、さっとドアを後ろ手に閉める。
「失礼します」
 何者かと身構えるミタカに、唐突な闖入者はぺこりと頭をさげた。
「今晩、中尉のお世話をするメイドのアミです」
 どうぞよしなに、と言う赤毛の頭には、典型的な“メイドさん”の頭飾りが揺れていた。これまた典型的でクラシカルなメイド服に身を包んだその人影は、上体をゆっくり起こした。手をお行儀よく前で組み、けれど顔は伏せたままだ。黒のロングワンピースの上に、白いエプロン。メイドにしてはやけに背が高い。肩口のフリル装飾のせいで、いかつい体格がよけいに強調されていた。というか。
「あの」
「このサービスは無料です。旦那様のご要望にはすべてお応えします」
「いや」
「それがどんなご要望でも、です。アミになんでもお申し付けください──あら、どうなさいましたか、旦那様」
 アミと名乗ったデカいメイドは、そこでようやく顔をあげてわざとらしく小首をかしげた。
 不気味だ。
「……何やってるんですか、将軍」
「えっ、何のことですか」
 意味がわからない、という風に眉をひそめたその顔は、紛れもなくアーミテイジ・ハックスその人である。髪はさすがにオールバックではなく自然に流しているが、化粧さえしておらず、そのまま男の顔だった。
「変装する気ないですよね?!」
 ミタカの悲鳴に対し、“アミ”はわざとらしく口元を手で覆い、キャッと言った。声が野太い。
「将軍て、もしかしてあの、悪名高いファースト・オーダーの若き新星、アーミテイジ・ハックス将軍のことでしょうか? そんな立派な方のお名前、口にしただけでノドが焼けてしまいますわ……」
「口調! キャラがなってません! ていうか気味が悪い! 不気味です!」
「ひどーい」
“アミ”はぶすりとむくれる。メイド服を着たデカいおじさんがむくれる。悪夢のような光景だった。

「何しに来たんですか」
「サービスですわ」
「そういうのいいから」
 ぴしゃりと言うと、異装の上司はチッと舌打ちした。
 こんなふてぶてしいメイドがいてたまるか畜生。
 ミタカは心底げんなりする。
「もう、なんでもいいですから、早いとこ脱いでくださいよ、それ。落ち着かないったら」
「脱げ?!」
 言葉尻を捉えて“アミ”、いやもう面倒くさい、ハックスが顔を赤らめた。
「そ、それが旦那様のご命令なら……」
 恥じらうような仕草とは裏腹に、上司はいそいそとエプロンのリボンに手を掛ける。ミタカは大慌ててで止めた。
「脱がなくていいです、むしろ脱ぐな、やめろ!」
 最後のほうは叫ぶように制止する部下に、上司は、ええー、何だよ臆病者と不満げに口を尖らせる。それでも、渋々手を前に戻してふたたび組んだから、いちおうロールプレイは続けるつもりらしい。頭痛がした。
「出て行ってください」
「断る」
 即答したアミことハックスは、そう言ってなぜか腕を組み、偉そうに胸を張った。
「こんな恰好で廊下に出たら、私が恥をかく」
「既にかいてるでしょうが! だいたい、宿には何て言ってその服装で潜り込んだんですか?!」
 ミタカの当然の疑問を、ハックスはフンと鼻で笑った。
「ファースト・オーダー内の素行調査だから協力しろと脅し、いや、要請したんだ。ちなみに、この雑な異性装については、中尉の趣味というか性癖と説明してある」
 得意げだ。
 ミタカは絶望した。両手で顔を覆う。
「風評被害だ! 名誉毀損です!」
「ごめん」
「謝って済むなら我々は要らないんですよ!!」
 おっ、うまいこと言うねえと上司は感心したように顎に手をやった。
「それで旦那様、ご要望は」
「まだ続ける気ですか?!」
 いまだしなを作り続けるハックスに、とうとうミタカの堪忍袋の緒が切れた。
「なら、その服脱いで普段の服に着替えてから出て行ってください! ついでにそのバカデカいサイズのメイド服は切り裂いて燃やして処分!! あと僕の性癖について撤回してきてください、僕はいたって一般的な好みですと!!」
「それは知ってる」
「やかましい!!」
 もー、とハックスはふたたびぶうたれた。ふくれっ面を作って上目遣いにミタカをちらちら見る仕草は可愛いと言えなくもないが、メイド服のせいでそれすら台無しだった。
「面白くないぞ、フェル。せっかくなんだから楽しめ。お前の弱点はまさにそこなんだぞ? それに、この服は特注だから燃やしたりしたらもったいない」
「……まさか、経費じゃないでしょうね」
「そのまさかだね」
「あ、あんたねえ! もう一生カイロ・レンの破壊行動で出ていった経費について文句言えませんからな?!」
 怒りのあまりとうとう敬語さえも狂いだしたミタカが、更に罵声を浴びせようと口を開いた、そのときだった。
 外の廊下から、酔っぱらい特有のヴォリューム調整を誤った胴間声が部屋に響き渡った。
「何だよ、ここの営業は終わったって聞いたぞ?」
「いやあね、そんなもん言ってるだけよ」
 ベタベタとした甘ったるいトーンで答えるのは若い女性の声だ。廊下を歩く二人ぶんの足音のひとつはドタドタと騒がしく、もうひとつはコツコツとヒールの甲高い音。
「お偉いさんがうるさいからさあ、形態変えたの。宿は部屋を貸してるだけ。で、あたしとあなたは酒場で知り合って、偶然恋に落ちたってわけ」
 ガハハとキャハハの二重唱が響き渡り、やがてバタリとドアの閉まる音が続く。笑い声はくぐもりがちな呻き、そしてあられもない嬌声へと変化していった。
「あのババア」
 耳を澄ませていた将軍がぼそりとつぶやく。
 傍らでやはり息を殺して会話を聞いていたミタカげ、そのつぶやきで我に返ったように上司を見遣る。
「やっぱり営業してるんじゃないか」
「届け出にはなんと?」
「三年前に風俗営業は終了してるとさ」
 せめて我々がいるとわかっている今日くらいはやめればいいものを、人を舐めてやがるなと、上司はとんでもない仏頂面をしながらひたすらに呪詛を吐いていた。
「……踏み込みましょう」
 さっきまでの上司への憤りはすっかり影をひそめたミタカが、きりりと眦(まなじり)を決して言う。
「いま踏み込めば、現行犯です。検挙できますよ」
「ええ……せっかくフェルと遊ぼうと思って来たのに」
 不満げにむくれる上司を、ミタカは一喝した。
「そんなこと言ってる場合ですか! それにその、遊ぶのは、い、いつだって……」
 しかしすぐに語気が弱くなる。宿の暗い照明の下でも、顔が赤くなっているのがわかった。ほぉん、と上司が嬉しそうに笑う。
「なるほど、なるほど、“いつだって”」
「復唱しないでください!」
 今はそれどころじゃないでしょうが、と言うミタカの目はあちこちをさまよっている。
「と、とにかく! 踏み込みますよ! 私が先に出ます、将軍は──」
「あ、待て中尉」
「まだ何か!」
 怒ったように振り返った部下に、上司は少し困ったような顔をしてみせた。そして、気まずそうに自分を指差す。
「あの……私、この恰好で出るの?」
「え?」
「さすがに、マズくないか。将軍が、コレは」
 コレ、と自分の着ている服をなんども指し示してみせる。
「だから言ったのに……ていうか、着替えは」
「それがさあ」
 着たままヤるつもりだったから、とばつが悪そうに言う将軍は、決して中尉と目を合わせようとはしなかった。
「置いてきちゃったんだよ、軍服。控え室に。困ったな、どうしようか………あ!」
 ミタカから醸し出される空気がぐんぐん冷えていくのを気づかぬフリをするハックスは、突然そう言うと目を輝かせた。ミタカの目には、ハックスの頭上に、ぴこん、と!マークが立ったのが見えたような気がした。
 嫌な予感がした。
「いいこと思い付いたぞ」

 その日、ひとつの娼館が閉鎖されることになった。ハックス将軍による抜き打ち現地調査の賜物だとかで、ファースト・オーダーの朝礼では、その成果が大々的に取り上げられた。将軍自らがこうして率先して行動しているのだから、諸君もオーダーの一員たる自覚を持って、日々目を光らせるように、云々。その地域では尻尾を掴ませないことで有名な、いわゆる“遣り手婆”に手ずからお縄をくれる将軍の映像は、その日のニュースにも使われた。
 しかし、オーダーの一般兵たちの専らの話題は、悪徳はびこる未開の植民地でもなく、率先して行動する若き将軍でもなかった。
 彼らが釘付けになったのはただひとつ。
 将軍の右腕として潜入調査をおこなった、ミタカ中尉の功績──まったく似合わないメイド姿に変装してまで悪徳を暴くという、その献身的な働きぶりについてだった。らしい。


かべうちから修正せずに移動しました。ばかでごめんね……。


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